は何か知ら落ち着きのない樣子で、テエブルを挾んで私と向ひ合せに腰を降したが、直ぐまた立ち上つた。
「寒いでせう。――火を持つて來ますわ……」と、女は小聲に囁いた。そして、左手の壁の中程にある扉の方へ歩いて行つたかと思ふと、ひよいと私を振り返りながら、そのまま隣の部屋へ姿を消してしまつた。
 この部屋きりの一人住居――そんな風に女の身を想像してゐた私は、思掛ない氣持で扉の方を眺めながら耳を澄ましたが、ごとりごとりと聞えてゐた女の靴音はやがて止んで、隣の部屋は直ぐに鎭まり返つてしまつた。私はその扉と向ひ合せの、右手の窓に眼を移した。降された、貧しい花模樣のある、茶色のカアテンが靜に搖れてゐる。十秒、二十秒、三十秒、私は部屋の中をまたぐるりと見廻した。幽かな胸騷ぎがし始めた。それを胡麻化すやうにポケツトから煙草を取り出してマツチの音を氣にしながら火をつけた。そして、一息吸つた紫烟を吐き出しながら、その烟のからんで行く電燈の方を見るともなく見上げてゐた。すると、その途端に扉の向うで幽かな人聲がした。續いて、力の無い咳音が二つ三つ聞えた。思はず息を抑へながら、私は聽耳を立てた。が、そのままあたり
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