よ……」と、女は蓮葉《コケツト》な聲で輕く答へ返した。
やがて少し明りのある横町へ出た。その時、女はひよいと私の方を振り返つたが、かぶつた肩掛の間に初めて照し出されたその白い顏は、瞬間何となくなまめいた印象を與へた。が、女は默りこんだまま斜に横町を渡り過ぎて、また向う側の暗い路次へはいつた。そして、十間程も歩いたかと思ふと、女は不意に立ち止まつて、私の方へ頤じやくりをしながら、内側に鈍い明りの差した家の入口の扉をそつと引きあけた。
「靜にして下さいね……」と、あとへ續いた私の耳元に女は聲をひそめながら囁いた。
煤けた天井から、よれよれになつた電線を引いて、傘もない塵芥だらけの電燈の球が黄色い光をとろんとあたりへ投げてゐた。ほこり臭い感じのする、がらんとしたホオル。右奧へ扉のある部屋が三つ四つ續いてゐる。が、女は短いスカアトをうしろ手にたくし上げながら、直ぐ左手の壁際にそつた、もう板の角のまあるく擦りへらされた階段を、足音を怖れるやうにして昇り始めた。私もそれに續いたが、高かつた踵の、横に曲つてへつてしまつた女の黒い編上靴がおづおづと動いて行くのを眼の前にすると、私の胸には變な不快さ
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