たが、はつきりした日本語だつた。
「え?」私はぎよつとして振り返つた。
 立ち止まつた私の前に、暗闇の中から、影のやうにひよいと近附いて來たのは、肩掛を頭越しにかぶつた、何となくみすぼらしい身成の外國の婦人だつた。厚く白粉を刷いた顏が夜眼にもまつ白く見えた。何か知ら危險に迫られてゐるやうな不安を感じてゐた私はほつと氣持の安らぎを覺えたが、ぢつと向けられた二つの眼の光に氣が付くと、それが女であるだけに變な無氣味さを感じないではゐられなかつた。
「何か用ですか?」暫くためらつた後に、私は日本語でかう訊ねかけた。
 婦人はもじもじして默つてゐた。
「人違ひではありませんか?」私はまた云つた。
 それにも婦人は答へなかつた。が、俯向いて暫く考へこんだかと思ふと、ひよいと顏を上げて、
「わたくし、日本|詞《ことば》、よく、駄目です。――あなた、わたくし、家《いへ》、來て下さい……」と、婦人は覺束ない詞で云つた。
 突然の思掛ない誘ひの詞に驚いて、私はまじまじと婦人の顏を見詰め返した。と、何故か私の視線を遁れるやうに、婦人は直ぐに眼を伏せてしまつた。そして、灰色がかつた肩掛の端を右手の指先で苛立た
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