う御上は仰せられたのか」
「左様に御座りまする」
池田出羽は考えた。御定紋の付いた御守脇差を軽々しく侍女に、しかも内密で御遣わしになる訳がないけれども、事実に於てその脇差を金三郎の母鶴江が拝領していたとあるからには、なんと云ってもこれは御落胤だろう。いかな明君でもこの道ばかりは別な物と昔から相場は極っているのだから。
いや、これが事実なら確かに慶事で、正しく殿の御血筋。若君一人儲かったのだけれど、今は御正腹に、綱政《つなまさ》、政言《まさとき》、輝録《てるとも》の三|公達《きんだち》さえあるのだから、それにも実は及ばぬ次第。近々御隠居ともならば、私田を御次男御三男にも御分譲。政言殿には二万五千石。輝録殿には一万五千石と、内々御決定の折柄《おりから》に、又そこへ御一人は、算盤《そろばん》の弾き直しだ。
しかし、それはどうにでもなる事で、親は親。子は子。金三郎とやら申す浪人と、正しく御親子関係に相違無い上は、晴れての御対面は如何《いかん》としても、早速御召抱ありてしかるべきものだけれど、さてこうした事というものは直ぐに分る。御領内一般は申すに及ばず、日本国中に知れ渡って、どうだ、明君とも云われる新太郎少将も矢張女は可愛かったのだ。侍女《こしもと》に御手が付いて御落胤まである仲だ。人間とかく四角張ってばかりはいられぬものだと、忽ち風紀が弛《ゆる》んで来るは必定。御上の御配慮はそこにあるので、この出羽に何とか分別無いかと、それ故の御密使であろう。こいつはちょっと難問題だと、腕を拱《こまぬ》いたまま考え込んだ。
「や、御苦労御苦労。しからばそれに就てこちらにも考えが御座る。御身早速、半田屋九兵衛を呼出し、内密に申し聞かされえ」
「はッ」
「右の次第は」
これこれと出羽は声を更に一段と潜《ひそ》めて、源之丞の耳近くに密告《ささや》いた。
「はッ、心得て御座りまする」
野末源之丞は池田出羽の密謀を心得て、大急ぎで岡山に立還った。
七
野末源之丞の屋敷へ呼出された半田屋九兵衛。薄々娘との関係を感付かぬでもなかったので、これはきっと金三郎様に取られぬ前に、娘を所望されるのではあるまいかと、そういう心配をしながら罷り出た。
「や、九兵衛。今日は一大事の密議じゃで。遠慮は入らぬ。近う」
「へえ」
「その方の宿泊人に、小笠原金三郎等の一行があろう」
「へえ、三人お泊りに御座りまする」
「恐れ多くも、御当主の御落胤と申立て、証拠の脇差を持って、御召抱の願いに魂胆致し居るとか。実際であろうな」
「能《よ》く御存じで、実は出羽様の天城屋敷御入りの為、差控え、御帰りを待って内々その運びにという事で……それを能くあなた様には御存じで」
「いや、拙者ばかりではない。既に出羽殿にも御承知」
「へえ――、えらいお早耳で」
「出羽殿より早速これを御上の御耳にも入れたところ、以ての他の事。しかしながら、浪人とあるからには家中同様の刑罰も加えられまい。見す見す騙り者と知れながらも、手の下し様もない事故《ことゆえ》。願いのままに一応は召抱え、その上にて、即座に切腹仰付けられるという、こうした御内意に定ったのじゃ」
「うへ――」
「不届なる浪人どもは、それにて始末は着くであろうが、その騙り者の宿を致したる咎《とが》に依って、その方半田屋は欠所。主人は所払い」
「うへッ」
「いかにもそれは気の毒と存じるので、内々その方の耳に入れて置く。そこまでに立至らぬ前に、何とか好きように致したらどうじゃ。これは拙者がホンの好意からの注意」
「や、有難う御座りました。なる程御召抱えの上なら切腹申付けられても否《いな》み様は御座りませぬな。宜しゅう御座りまする。左様当人にも申聞けまして、や、これは、実に、大変な事になりました」
アタフタとして九兵衛は帰り去った。
九兵衛から金三郎等に、召抱えの上切腹云々を密報したので、これには驚いた。
「でも、確かに拙者は落胤で、証拠の脇差も持参の事故《ことゆえ》」
金三郎は半泣きになって愚痴を口走った。
「駄目だよ。トテモ駄目だよ。池田家に取ってその落胤が飛出したので都合が悪いに相違無いのだから、先方に好意が無いのに、こちらから押売してもイカン。召抱えられて見れば池田家の家郎《けらい》。池田家の家来となって見れば、主命に依って切腹仰付けられ、となって見る日になって見ると、お受けをしない訳にも行くまいから。諦めろッ」
参謀たる奥野後良、もう逃げ腰。
「や、それもそうだ。命あっての物種だ」と駒越左内も臆病風《おくびょうかぜ》。
九兵衛は又|家《うち》の大事と。
「どうか少しも早く御立退きを願いまする。お預かりの百両は、宿賃を差引いてお返し致しまするで、や、どうかそうなさった方がお互いの身の為。死んだ尼さんの後葬《あととむ
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