今度の巡検使は、厳しいか、緩やかなのか、領内の者が脈を引いて見るのは、最初の宿の三島という事に代々極っているのだが、純之進の態度が若きに似ず意外に厳格なので、これは一筋縄では行かぬと覚ったらしかった。
 明くる日は駕《かご》かきの人足まで皆村方から出て来て、その外お供が非常に多かった。三島|明神《みょうじん》の一の鳥居前から、右に入って、市ヶ谷《いちがや》、中原《なかはら》、中島《なかしま》、大場《だいば》と過ぎ、平井《ひらい》の里で昼食《ちゅうじき》。それから二里の峠を越して、丹那の窪地に入った時には、お供が又殖えていた。役人はこわい者、機嫌を取っておかぬと後の祟《たた》りが恐ろしいという、そうしたその時代の百姓心理を、ゆくりなく初日から示したのであった。
 丹那という土地は四方を高い山々で取囲まれていて、窪地の中央《まんなか》に水田があって、その周囲に農家がチラホラとあるに過ぎなかった。
 けれどもここの旧家|山田《やまだ》氏というのは、堂々たる邸宅を構え、白壁の長屋門、黒塗りの土蔵、遠くから望むと、さながら城廓《じょうかく》の如くに見えるのであった。
 ここにも村々から大勢出迎
前へ 次へ
全18ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
江見 水蔭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング