かぬと見たので、お祭り騒ぎの行列も減じ、伺候する村役人も殆《ほとん》ど絶えた。
 純之進は却ってその方がよいのであった。この夜は、村々の選ばれたるおとぎ女、急仕込の小笠原流の美人達は一人も来なかった。これで夢の幽霊さえ出てくれねば、本当に好いのだがと思いつつ眠った。が、矢張、同じ刻限に同じ姿で出て来た。そうして珍らしくも初めて口をきいた。
「明日は、何も彼もお分りになりましょう」
 その一言を遺して、悲鳴もなく安らかに消えて失せた。

 丹那を立去る時がいよいよ来た純之進は、あくる日丹那山の唯一の名所、鸚鵡石《おうむせき》を見物して行く事にした。(鸚鵡石は、志摩国《しまのくに》逢坂山《おうさかやま》のが一番名高い。つまり声の反響、コダマの最もよく聴こえる個所なので、現在では少しも不思議とはせぬが、その時代の人は真に奇蹟としていたのであった)
 もうこの日は誰も付いて来なかった。勿論それは純之進の方からも謝絶したので、わずかに山田家の下男が道案内に立ったに過ぎなかった。但し若党は供にした。
 西の方へ山道二十町ばかり。それより南の方へ谷間を縫うて行くと、沼津《ぬまづ》領の境近き小山の中腹
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