うま[#「えうま」に傍点]道なんて申しまして、それに当ったところへ寝床を敷きますと、必ず唸されると申しますが」と若党源八は弱い音を吐くのであった。
「馬鹿な。左様な事があるものか」と云って純之進は笑って了った。
 あくる日はいよいよ巡検の始まりで、先ず丹那村を庄屋その他の案内で見歩いた。
 今は水田となっている元の丹那沼の中からは、時々|神代杉《じんだいすぎ》を掘出すという事から始まって、土中から掘出し物をする話しが土地の者の口から出た。田代の古城跡から武器が出たとか。法輪寺《ほうりんじ》の門前から経筒《きょうづつ》が出たとか。中には天狗《てんぐ》の爪が出たの、人魚の骨が出たのというのもあった。
「江戸で掘出し物は、古道具屋でも、あさらねば得られぬが。こちらでは土中から珍らしい物が出て好いな」
 つい純之進は釣り込まれて云った。するとその掘出し物で又軟化させようと、先代が土中から得たという古釜を贈ろうという者さえ出た。純之進は驚いてそれを斥《しりぞ》けた。
 畑村の境から茗荷谷《みょうがだに》、多賀谷《たがだに》、それから地蔵前《じぞうまえ》。法輪寺で昼食して、鎮守|八島神社《やしまじんじゃ》に参詣した時に純之進は芝居の板番付が新しく奉納額として懸っているのを見出した。純之進は芝居が好きなので、武士ながら内密で、江戸三座の新狂言は大概見物に行っていた。
「おう、七変化芝居大一座――珍らしいな」と純之進は云った。
「はい、先月この境内に掛りました」
「この別庵《べついおり》の尾上小紋三《おのえこもんざ》と申す者の肩書に、七化役者《ななばけやくしゃ》としてあるのは珍らしいな。どういう事を致すのか」
 尾上小紋三――七化役者――それに目をつけられたので、今まで答えていた丹那の庄屋を初め、ゾロゾロ付随していた村の者の多くは、急に顔色を変えたのであった。
 すると浮橋村から来ていた庄屋というのが、無頓着に。
「へえ、それは、私共の村へも参りましてござりまする。大評判で、実に不思議な芸をして見せました。一人で七役も勤めまするので、小紋三と申しますのが、お染、久松、小僧、尼、子守女、女房、雷鳴様にまでなりまする。それから忠臣蔵を致します時は、先ず五段目でも、与一兵衛から、定九郎、勘平、テンテレツクの猪《しし》まで致しました。それで、どうもこれは、飯綱遣《いいづなつか》いであろう。でなくは切支丹《きりしたん》ではないかと、韮山《にらやま》で興行の折は、江川太郎左衛門《えがわたろうざえもん》様の手代衆が一応お調べになりまして、確かに魔法|妖術《ようじゅつ》ときめて、既に獄門にもなろうとしましたのを、江川の旦那様がお聞きになりまして、再お調べで、その時申開きが立って放免になりましたという。まことに珍らしい芸人でござりました」とくわしく説明した。
「ふむ、それを当村でも先月掛けたのだな。豊年祝としてなァ」と純之進は凶作を言立てられぬように釘を刺した。丹那村の者は皆苦い顔をして項垂れた。
 その中にヒョイと一人、面《おもて》をもたげて、さも嬉《うれ》しそうに、ニヤニヤと笑った者があった。それを見た純之進は、ゾッとした。これぞ一昨日《おととい》箱根の国境から見え出した謎《なぞ》の男。昨日《きのう》山路に掛ってから、駕脇《かごわき》に幾度となく近よって物云いた気にした者であった。
 今日こそはこっちから話しかけて見ようと構えたけれど、鎮守の社内を出てからは、もう見えなかった。
 この日は丹那だけの巡検で終り、再び山田家に泊ったが、またしても夜半に昨夜と同じ夢を見て唸された。高島田の娘が、縛られた様をしては泣くのであった。これはどうも部屋に祟りがあるのだろうと、そういう迷信を起さずにはいられなかった。しかるに翌日は田代村を巡検して、それから長崎村に廻り、ここの吉左衛門《きちざえもん》という庄屋の家に一泊したが、この日も同じく謎の男が駕の近くに出没した。それのみならず不思議なのは、ここでも又前夜と同じ様に、高島田の娘の夢を見た。すると山田の家にのみ祟るとは思えなかった。
「何か拙者に訴えるところでもあるのなら、遠慮なく申せ。聞いて遣わそう」それだけ云おうとしても喉に詰って、その苦しみで又うなされた。毎夜毎夜同じ夢を見つづけるのは、全く怪しい限りであった。

       四

 怪しい二つの事件は、どこまでもないまぜに続いた。次ぎの日の巡検にも、純之進の目にのみ月代の土気色をした若者の姿は見えた。その夜神益村の庄屋|武左衛門《ぶざえもん》の家でも、高島田の娘は行燈の影に坐って泣いた。
 その明くる日は洞道越《ほらみちごえ》という難所を通って再び丹那の山田家に帰り、これでほぼ巡検の任務を果したのであった。
 大勢はすでに定まった。今度の役人に賄賂《わいろ》は利
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