かぬと見たので、お祭り騒ぎの行列も減じ、伺候する村役人も殆《ほとん》ど絶えた。
 純之進は却ってその方がよいのであった。この夜は、村々の選ばれたるおとぎ女、急仕込の小笠原流の美人達は一人も来なかった。これで夢の幽霊さえ出てくれねば、本当に好いのだがと思いつつ眠った。が、矢張、同じ刻限に同じ姿で出て来た。そうして珍らしくも初めて口をきいた。
「明日は、何も彼もお分りになりましょう」
 その一言を遺して、悲鳴もなく安らかに消えて失せた。

 丹那を立去る時がいよいよ来た純之進は、あくる日丹那山の唯一の名所、鸚鵡石《おうむせき》を見物して行く事にした。(鸚鵡石は、志摩国《しまのくに》逢坂山《おうさかやま》のが一番名高い。つまり声の反響、コダマの最もよく聴こえる個所なので、現在では少しも不思議とはせぬが、その時代の人は真に奇蹟としていたのであった)
 もうこの日は誰も付いて来なかった。勿論それは純之進の方からも謝絶したので、わずかに山田家の下男が道案内に立ったに過ぎなかった。但し若党は供にした。
 西の方へ山道二十町ばかり。それより南の方へ谷間を縫うて行くと、沼津《ぬまづ》領の境近き小山の中腹に高さ一丈五六尺、幅六尺ばかりの大岩が聳《そばだ》っていた。それが鸚鵡石であった。谷間《たにあい》二百歩ばかり隔《へだ》ちて、こちらから声を掛けると、同じ言葉を鸚鵡返しに答えるのだった。
「ああ、今日初めて自分の体になられた。人間は飾りを取った本当の生地で話し合うのが一番よいのだ。丹那へ来て安心して話の出来るのは、鸚鵡石殿、貴公ばかりだぞ」
 純之進が最初の声であった。すると同じ声が石の方でもした。純之進は全く清い清い心になりすました。
「これ、鸚鵡石殿、こっちにばかり物を云わさず、そちらからもチト何か申されぬか」と云った。それはホンの戯《たわむ》れに過ぎなかった。まさか石が人語を発しようとは思わなかった。
「お役人様……お役人様……」と突然鸚鵡石が声を発した。皆ビックリした。
「お訴え申上げます。当村に人殺しがござりました。その死骸《しがい》は山番小屋裏の荒地に埋めてござりまする」と又鸚鵡石が人語を発した。純之進はビックリした。若党は顔色を替えた。案内の下男は忽ちふるえ出した。
「それをお訴え致そうと存じましたが、今日やッと申上げられます。どうかお露の敵《かたき》をお取下さいまし。お願いでござりまする」
 その声は悲痛|凄愴《せいそう》を極めたのであった。案内の男は忽ち逃げ出した。昼間幽霊が出たと思ったのか。純之進は心着いて背後を振かえって見た。五十歩ばかり隔てた草むらの中から、腰から上を現わした一人の男。毎日見えつ隠れつあたかも影の如く従うて来ていた土気色の若者であった。
「その方、何者かッ」と純之進が声を掛けた時に、謎の人は手を合せて拝む真似して、そのまま姿は見えなくなった。

 鸚鵡石の怪におどろき、急いで純之進は帰路についたが、気にかかるので廻り路《みち》して、山番小屋の荒地に行って見ると、ここで村の者が大勢顔色を変えて、大騒ぎしていた。
 何事かと側に寄って見ると、野猪《いのしし》が出て畑を荒らしたついでに、荒地まで掘散らして行ったので、そこから女の死骸が出掛かっているというのであった。純之進は胸を轟《とどろ》かして、それを覗《のぞ》き見て。
「あッ」と叫ばずにはいられなかった。それは毎夜つづけて夢に見た高島田の娘。それが正しく襟付黄八丈の衣物を着て、黒襦子と紫縮緬の腹合せ帯を締めたまま、後手に縛られて、生埋めにされて死んでいるのであった。

 巡検使の職権で純之進が大吟味を試みた結果、奇怪なる犯罪が暴露した。それは、七化役者尾上小紋三が、丹那の山里で大評判で、村中の女がことごとく恋をした。その中で勝利を得たのが椎茸畑《しいたけばたけ》の番人|政十郎《まさじゅうろう》の娘お露《つゆ》であった。
 お霧は最近まで、御青物《おんあおもの》御用所《ごようどころ》神田《かんだ》竪大工町《たてだいくちょう》の御納屋《おなや》に奉公に出ていて、江戸|馴《な》れている上に、丹那小町と呼ばれた美人なので、村の若者が競って恋を寄せたのであったが、ことごとく斥けて、そうして七化役者と親しんだのであった。
 二人は手に手を取って道行をしたという事になっていたのだが、それでは何者にか殺されたのであろう。恐らく相手の小紋三が下手人であろうという村方のいい立てが皆一致した。
 純之進はそうは思わなかったが、別に証拠が上らぬので、詮議は打切にした。その為に出立が一日遅れたのであった。
 帰り路は山越しに熱海《あたみ》に出た。坂口屋弥兵衛《さかぐちややへえ》方に一泊した。ここでまた驚くべき事実を発見した。ここに謎の人が泊り合せて虫の息でいるのであった。それは七化の小
前へ 次へ
全5ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
江見 水蔭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング