た。太夫身支度の間今一|囃子《はやし》、そんな景気を附けるでもなく、唯浴衣の裾を端折っただけで有った。赤の色褪めた唐縮緬《とうちりめん》の腰巻が、新堀割の濁った水の色や、小堤下の泥の色に反映して、意外に美しく引立って見えるので有った。
忽ち手繰り船の親杭《おやぐい》の上に攀《よ》じ登った。
「気を着けないと危いよ」と、下から竜次郎は声を掛けた。
「大丈夫で御座いますよ」と小虎は云いつつ颯《さ》と紺蛇の目の雨傘を開いた。それと同時に腰巻の唐縮緬から、血の飛沫《しぶき》が八方へ散ったと見たのは、今まで藤蔓に止まっていた赤蜻蛉《あかとんぼ》が、驚いて逃げたので有った。
名は新利根でも、五十間の堀割。手繰り渡しの藤蔓を綱渡りの足取りで越すので有った。それは実に見事なもので、大道を普通《なみ》の人が歩くのと異らなかった。
折柄の夕陽《せきよう》は横斜《よこはす》に小虎の半身を赤々と照らした。それが流れの鈍い水の面《おも》にも写るので有った。上にも小虎、下にも小虎、一人が二人に割れて見えた。垢染みた浴衣の扮装《いでたち》も、斯うすると光輝を放って見えるので有った。況《ま》してや舞台好みの文金
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