ない。

    不思議なる空気孔の発見。桂田博士の失跡

 でこの後は用事の時は筆談する事として、又ずんずん向うに進んでいると、晴次の踏んだ石がグラッと揺いでそこに一つの穴を見出した。極めて小さな穴だが月野博士は注意してその中を覗いていたが、何を思ったか洋寸《マッチ》を出して火を点ずるとパッと火が付いた。博士は大喜びで四辺の石を少しばかりとりのけてその中に飛び込み、中から手招きをするので、いずれも中に這入ると博士は仮面を脱いで、
「この穴には空気が充満している。」
 今度は声が聞えた。
「これは何かの具合でこの穴にずっと昔の空気が残っていたんだ。」といいながら又懐中|洋燈《ランプ》を点じてそれを高く翳《かざ》して隈なく四辺を見回した。
 一行のいる処は八畳敷ほどの処であるが、その横に一間四方ほどの洞《ほら》があって、そこから先きは何丁あるか判らないほど深いらしい。それは助手が奥へ向って石を投じて見たその反響でも大概は判っている。
 月野博士は非常に喜ばしげな顔付で、
「いや難有い難有い。何にしてもこれだけ大きな空気孔があれば、余程長い間吾々は呼吸には困難しないから、この間に緩々《ゆるゆる》探検もしたり、飛行器の修繕も出来るというものだ。」
と雀躍していたがやがて、
「しかしこうしている中にもこの中の空気が飛散すると大変だから、至急に入口を塞がなければならない。」
「僕らが道具を持って来ましょう。」
と少年はもう駆け出した。
 桂田工学博士は、
「それじゃ僕だけここに留守しているから、皆んなで支度をして来|玉《たま》え。」
「では頼むよ。」
と月野博士は助手を率いて引返した。
 種々の道具を担いで再び大急ぎで、かの洞穴に帰ったがどうしたのか待っているはずの桂田博士がいない。
「どうしたんだろう。」
と大きな声で呼んだが何とも返事がない。五人声を合せて博士の名を呼んだ。それでも何とも答はない。
「多分そこらへ一人で探検に出かけているんだろう。もう程なく帰って来ようから、吾々《われわれ》は少しも早くここの空気の逃げ出さないようにしなければならない。」
と自ら道具を取って石を動かし始める。二少年も助手とともに働いたが、この月世界で物体の軽い事は驚くほどで、馬二頭でやっと運べそうな大石が、杖の先でも手軽く動く。いやそれ処じゃない掌にでも乗せられるくらい。
 間もなくそこの工事も出来上ったので一同は一まず飛行器の処まで帰って、晩餐の用意に取り懸った。
 やがてそれも出来上って月世界第一回の晩餐会は始まった。
 本気で食事をしていた晴次は急に顔を上げて、
「叔父さん。」と博士を呼びかけて、
「桂田さんはどうしたんでしょうねえ。」
「さよう。きっと最先に一人で探検に出かけているのだろうと思う。」
「そうでしょうかしら。僕は何だかこの月世界の中にほかの人類か動物が生存していて、桂田さんは、それに見付かって捕われたんじゃないかと思うんです。」
 博士は笑いながら、
「そんな事があるもんか。どうして空気のない処にそんなものが生存して行けるものか。」
と言うと、光雄は横から、
「だって僕らが今こうして生きているようにほかの者だって生きているかも知れないでしょう。」と一本遣りこめる。
「そりゃそうだけれども少なくとも月にはそんな生存したものは一|疋《ぴき》だっていないという定説なんだから、そんな事はあるまい。もう程なく帰って来るだろうから、それよりは飯でもすんだなら吾々の住宅《すみか》をあの洞穴の横に造るんだ。」
「家を? だってどうして建てるんです。材木も何もありゃしないじゃありませんか。」と又晴次が口を出す。
「何もむつかしい事はありゃしない。この飛行器を皆で担いで行くんだ。」
「飛行器を? 五人や六人で出来るもんですか。日本だって人夫が二十人以上も要ったのでしょう。」
「そうさ。しかしお前は今あしこの穴を塞ぐ時にあんな大きな石をコロコロ転がしていたじゃないか。空気のない処じゃ石でも羽根でも重さは同じだ。飛行船だって己《おれ》一人でも持って行ける。」と説明すると、
「そうですねえ。」と感服して、
「それにしても博士を探しちゃどうでしょう。僕らが迎いに行って来ましょうかしら。」
「さようさ。今に皆で出かけよう。」

    月のアルプス山に於ける紀念碑

 五人は色々な話をしながら食事を終った。暫時《しばし》休息した。
 もうここに着いてからかれこれ二十四時間以上にもなるが夜が来ない。絶えず昼で朝も晩も何にもない。
 しかしいずれも身体は綿のように疲れているので、シートの上に寐《ね》るや否やぐっすり[#「ぐっすり」に傍点]と寐込んで了った。
 かれこれ三時間もたった頃博士はまず眼を醒しほかの者を揺り起した。
「ああ眠い眠い。もう何時でしょう。」
 
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