晴次は目を擦りながら尋ねる。
「何時も糞もあるもんか、一日が二十四時間より長いんだから僕らの持っている時計じゃ訳らない。さあいよいよそれじゃ博士を捜索に出かけようかな。」
と空気自発器に薬品を補充して再びそこを発足した。
 今度も矢張首をグラグラさせながら歩いて前とは少しく方向を換えて山を見かけて進んだ。
 その山の高い事といったら想像も及ばないほどで、その下は一面に広い凹地《くぼち》になっている。
 博士は手帳を出して、
「あそこに見える高い山脈は月世界のアルプス山脈で、今吾々の足下に拡がっているのが、ベポアー海だ。」
と書き示すと、二少年は吃驚《びっくり》して、
「海ですって?」と声を出したが、前と同じくさっぱり聞えない。
 余儀なく鉛筆を出して、
「だって海といっても水は一滴もありゃしないじゃありませんか。」
「昔はこの凹所に水が溜っていて海だったのだが、永い年月の間に全然《すっかり》乾き切って終ったんだ。しかし一度は海だったのだから、天文学者は矢張今でも海とか山とかいうように名称をつけて図を作っているのだ。」
 こんな話をしながら一行はいつとなくこの海を渡って、いよいよアルプス山の麓に出た。
 遠くより望んだよりはさらに一層の険峻で、岩は悉く削ったように聳《そばだ》っている。それを伝って段々と昇って行ってやっとの事で絶頂に達した。
 晴次は何やら見出して、不思《おもわず》また「ヤッ」といったが、気が着いて博士の袖を曳きながら、頻りに先方《むこう》を指差すので、そちらを見ると如何にも石碑らしいものがある。
 無人の境に石碑!
 いずれも審《いぶか》りながらそちらへ駆け付けて見ると、一間四方もあるような四角な天然石を立てて、それに何やら彫刻してある。側によってその字を読むと、英文と日本文とで、
[#ここから2字下げ]
明治四十年十月大日本帝国月世界探検隊この地に達す、一行の姓名を刻んで紀念となす。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから地から2字上げ]
工学博士 桂田啓次
理学博士 月野 清
日本少年 星岡光雄
同    空地晴次
助手   山本 広
同    卯山飛達
[#ここで字上げ終わり]
と記してある。
「博士はもう一番にここまで来たんだ。」
と一同はその無事なのを知って、いずれも安堵の胸を撫で下したが、晴次は又、
「それにしてもここからどちらへ行かれたでしょう。」
「さようさ。」と博士は四辺を見廻していたが、
「とにかくこの山を向側に越して、今少し行って見よう。」
と、その紀念碑の裏に廻った。こちらは足の掛りもないほど急で、頂上《てっぺん》から下を見ると眼も眩むばかり幾十万丈とも知れぬ深さだ。
 光雄はその一番先きに突き出している岩の上に這い出て下を見ていたが、立ち上ろうとする途端によろよろとして底知れぬ千仭《せんじん》の谷に真倒様《まっさかさま》に落ちて終った。
 晴次はこの有様に吃驚して、どうしようと度を失っていると博士は手帳に、
「さああの後に蹤《つ》いて一同《みんな》も飛び降りるんだ。」
「え? ここから」
と晴次が吃驚するまもなく博士は勢をつけて飛んだ。
 乱暴※[#感嘆符三つ、35−上−18] 乱暴※[#感嘆符三つ、35−上−18]
 晴次はますます驚いていると、助手が、
「貴方何も心配なさる事はありません。空気のない処じゃ羽根のようなもんです。いくら高い処から飛んだって平気なんです。」
「さあ一緒に降りましょう。」
と晴次の手を取って否《いや》がる奴を無理に谷底見蒐けて飛び込んだ。
「もう駄目だ。死んで了《しま》うんだ。」
と思って晴次は眼を閉じたが、どうも千仭の谷底へ落ちているとは思われない。まるで風船にでも乗って下っているよう。フワフワとして気持のよさったらない。
 不思議に思って眼をあけると、不思議※[#感嘆符三つ、35−下−10] 不思議※[#感嘆符三つ、35−下−10] 助手が教えてくれたように、春風に鳥の毛が散っているくらいの速力《はやさ》で、そろそろと下降しているのだ。
「これは面白い。」
と横を見るとほかの連中も莞爾莞爾して同じく気持のよさそうにキョロキョロ四辺を眺めながら降っている。
 次第次第に地が見え出すと、下には博士と光雄が笑いながら、三人の飛び降りるのを見上げて待っている。
 やがて地に着くと、粉微塵になると思ったのが大違い、花火の風船玉が落ちたくらいに音もせず一同無事にそこに立った。
 互にその不思議な現象を笑いながら、なおも人々と進んで行くと、また大きな平原=否《いや》海原に出た。
「ここは何という処ですか。」
と晴次が聞くと、
「ここはツランクイリチー大海の痕だ。」
と博士は手帳に書き示した。
 一同は又そこを横切った。
 かれこれ半ば頃にも達したと思う頃、遥か岩の影
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