るものは鳥の鳴く音《ね》すらなく満目ただ荒涼、宛然《さながら》話しに聞いている黄泉《よみ》の国を目のあたり見る心地である。
空気は皆無
先刻から大分元気付いて来た晴次と光雄はこの光景《ありさま》を見ると、
「やあ酷《ひど》いなあ。さあいよいよ出かけようじゃないか。」
と、喜び勇んで最先に窓から飛び出したが、出たと思うと、真蒼になって這入って来て、再びそこに仆《たお》れて終った。
助手はこの有様に驚いて、早速介抱に取り懸ったが、月野博士は笑いながら、今二人の開けた窓を手早く閉めて少年の側に立ち寄って、
「あんまりばたばたするから不可《いけ》ない。僕の思った通りいよいよこの月世界にはもう空気が全くなくなって終っているんだ。」
といったが、急に思い出したように、傍の助手の方を振り向いて、
「おい山本。一寸《ちょっと》あちらの貯蔵庫を検べて見てくれないか。先刻《さっき》の騒ぎで悉皆《すっかり》壊れているかもしれない。あれが使えなくなってはそれこそ大変だ。」
「ハ。」と助手は隣の室へ行ったが直ぐ帰って来て、
「先生、大丈夫です。あちらは後部にあったもんですから、それほどの損害はありません。」
「そうか。それは何より難有《ありがた》い。」
と、今度は自分でその室に這入ったが、暫くして再び出て来たのを見ると大変な恰好だ。
新式空気自発器
各自《めいめい》の家によくある赤く塗った消火器のような恰好をした円筒を背にかけ、その下端に続いている一条のゴム管を左の脇下から廻して、その端は、仮面《めん》になっていて鼻と口とを塞いで、一見すると宛然《さながら》潜水夫の出来損いのような恰好だ。これは博士が非常な苦心の末に発見した新式空気自発器で、予め今日の用意のために整えておいたのだ。
訳を知らない二少年はこの様子を見ると病気を忘れて手を打って、
「やあ面白い恰好だなあ。どうしてそんなものを被るんです。」
博士は簡単にその理由《わけ》を教えて、まず自分で外へ出た。後に残った助手は同じく人数だけの自発器を持ち出して、各自《てんで》にそれを被らせ、続いて外へ出た。
頑丈に造ってある飛行器の肝要な室は比較的に安全ではあったが、外に出て見ると誠に酷い有様だ。
羽根は飛んで了《しま》い、檣《マスト》は折れ、その他表面にある附属物は一切滅茶滅茶に破損して、まるで蝗《いなご》の足や羽根を毟《むし》ったように鉄製の胴だけが残っている。
この様子を見ると、折角元気を盛り返しかけた光雄と晴次は又心配気な顔をして、
「こんなに壊れて終ったら、もう地球に帰れなくはありませんかねえ。」
と尋ねる。
桂田博士も尠《すく》なからず困った様子で何とも答えない。
六探検者の言語不通
月野博士は最先に立ってズンズン向うに進むのでほかの人々もその後に続いてやって行く。
広い石塊《いしころ》の原を横ぎり終ると今度は見上ぐるばかりの険山の連脈だ。
見渡す限り石ばかりで、四辺には草一本もなく、谷間のような処に下りて行っても、一滴の水さえ流れていない。サハラの大砂漠の最中《まんなか》に投げ出されたようなものだ。それで不思議な事には自分の身体の軽い事といったら踏む足が、地に付いているかいないか訳らないくらい。足音さえしない。それでいくら石塊の上を歩こうとも、険しい山を登ろうとも少しも苦しいと感じない。
「これは面白い。」
と少年は大喜びで、どんどん兎の飛ぶように駆け歩くと、その身体は宛然《まるで》浅草の操人形を見るようにくらくら[#「くらくら」に傍点]して首を振りながら、やっている。可笑《おか》しいと思って見れば首を振ったりピョコピョコ跳ねるのはただに少年ばかりじゃない。両博士も変ちきりんな身振をやって歩いている。一番にこれを見付けた助手は、あんまり可笑しいので、
「先生大変お様子がよろしいじゃありませんか。」
と冷評《ひやか》したが何とも返事もしないで相変らず首を振っている。
「どうしたんだろう。それにしてもあの恰好は可笑しい。ハハハハハハ。」
と高笑をしたが、不思議にも自分の笑う声が聞えないのに気が付いた。
「おや。」と思って又大きな声を出して見たが矢張《やっぱり》聞えない。いよいよ不思議に思って、月野博士に追付いて、その袖を引きながら、
「先生、私はどういう加減か耳が聞えなくなっちゃいました。」
と訴えると、矢張博士にも何をいっているんだか判らない。博士は急に思い付いたようにポケットから手帳を出して、
「これは空気がないために音響が伝らないのだ。」と書くと、不思議そうに二人の様子を見ていた他の連中も成程と合点して、
「ははあ。それで聞えなかったのか馬鹿らしい。ははははは。」
と高笑をしたが、口が開いたのが見えるばかり、さっぱり笑声も何もし
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