世に越前家《えちぜんけ》と云うは徳川家康の第二子|結城《ゆうき》宰相|秀康《ひでやす》。その七十五万石の相続者|三河守忠直《みかわのかみただなお》は、乱心と有って豊後《ぶんご》に遷《うつ》され、配所に於て悲惨なる死を遂げた。一子|仙千代《せんちよ》、二十五万石に減封されて越前福井より越後高田に移され、越後守|光長《みつなが》とは名乗ったものの、もとより幼少。その母こそは二代将軍秀忠の第三女、世にいう高田殿《たかだどの》(俗説|吉田御殿《よしだごてん》の主人公)。
当分は江戸屋敷に在るべしとの将軍家の内命に従い、母子共に行列|厳《いかめ》しく、北国街道を参勤とはなった。
高田殿は女子《おなご》の今を盛りであった。福井の城に在る頃は、忠直卿乱行の為に、一方ならず心を痛められたが、既にそれは一段落|着《つ》いたのであった。面窶《おもやつ》れも今は治って、血の気も良く水々しかった。
雪深き越路《こしじ》を出て、久々にて花の大江戸にと入るのであった。父君《ちちぎみ》二代将軍に謁見すれば、家の事に就ても新たなる恩命、慶賀すべき沙汰が無いとも限るまい、愛児の為に悪《あ》しゅうは有るまいと、
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