くせもの》なる哉《かな》。

       三

 地震《ない》の滝道の樺《かば》林の中に、深さ六尺位、広さ五六畳程の竪穴を掘り、その上に半開の唐傘式に木材を組合せ、それに枯茅《かれかや》を葺《ふ》いて屋根とした奇々怪々の住居《すまい》。それが疑問の老翁の隠宅であった。
 老翁は真堀洞斎《まぼりどうさい》と云い、京の医師という事。それが数年前からこちらへ来て、黒姫山中に珍奇の薬草を採集する目的で、老体ながら人手を借りず、自ら不思議な住居を建て、隙《ひま》さえあれば山野の中にただ一人で分入《わけい》るのであった。
「暖国には樹上の家、寒国には土中の室、神代《かみよ》には皆それであった」
 土地の者にも土室が好い事を勧めていた。この洞斎の住居を夜に入って密々に訪れたのは、昼の約束を履《ふ》んだ滝之助であった。
「おう、持っていた。さァ」
 初夏でも夜は山中の冷え、炉には蚊燻《かいぶ》しやら燈火《ともしび》代りやらに、松ヶ根の脂肪《あぶら》の肥えた処を細かに割って、少しずつ燃してあった。
 室内に目立つのは、幾筋も藤蔓《ふじづる》を張って、それに吊下げて有る多数の印籠。二重物、三重物、五重物。蒔絵、梨地、螺鈿《らでん》、堆朱《ついしゅ》、屈輪《ぐりぐり》。精巧なのも、粗末なのも、色々なのが混じていた。皆これは滝之助が、北国街道に網を張り、旅人の腰ばかり狙いをつけ、茶店でも盗み、旅籠屋《はたごや》でも奪い、そうしてここへ持って来た八十六箇の、それなのであった。
「今夜こそ一大事をことごとくその方に申し伝える。それというも拙老の寿命の尽きる時が参ったからじや。いや素人には知れぬが、医道に長《た》けし身じゃ。それが知れえでなろうか」
 洞斎の語り出しは淋しかった。
「お待ちなされませ、もしや人が立聞きにでも参りはしませぬか」
 滝之助は念の為め見廻りに梯子《はしご》を昇って外に出ようとした。
「ハテ、夜中にこの林間の一つ家、誰が来ようぞ。来ればいかに忍んでも、土中の室には必らず響く。まァ安心して聴くが好い」
 真堀洞斎は実に大阪落城者の一人で有った。しかも真田幸村《さなだゆきむら》の部下で、堀江錦之丞《ほりえきんのじょう》と云い、幸村の子|大助《だいすけ》と同年の若武者。但し大阪城内に召抱えられるまでは、叔父|真家桂斎《まいえけいさい》という医家の許《もと》に同居していたので、
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