死に方。
 美少年は後から、トンと武道者の背を蹴った。前にバッタリ大木が倒れた状態。山蟻《やまあり》が驚いて四方に散った。
 血鎌を振って美少年はニッコと笑み。
「たわけな武者修業|奴《め》、剣法では汝《うぬ》には勝てぬけども、鎌の手の妙術、自然に会得した滝之助《たきのすけ》だ。むざむざ尻叩《しりたた》きを食うものか」
 冷笑の裡《うち》に再び印籠を取り上げた。
「これで八十六になった」

       二

 美少年滝之助は越後《えちご》領|関川宿《せきかわじゅく》の者、年齢《とし》は十四歳ながら、身の発育は良好で、十六七にも見えるのであった。それで又見掛けは女子《おなご》に均《ひと》しい物優しさ、天然の美貌は衆人の目につき、北国街道の旅人の中にも、あれは女の男に仮装したものと疑う者が多いのであった。
 それが鎌遣《かまつか》いの名人、今日はここで荒熊の如き武道者をさえ殺したのであった。見掛けに依らぬ大胆不敵さ、しかも印籠盗みの罪を重ねて八十六とまでに数えるとは。
 それには遺伝性も有った。時代と境遇との悪感化も加わった。祖父は野武士の首領で、大田切《おおたぎり》小田切《おだぎり》の間に出没していた。それが上杉謙信《うえすぎけんしん》の小荷駄方《こにだがた》に紛れ入って、信州甲州或は関東地方にまで出掛け、掠奪《りゃくだつ》に掛けては人後に落ちなかったが、余りに露骨に遣り過ぎたので、鬼小島弥太郎《おにこじまやたろう》に見顕《みあらわ》されて殺されたという。
 父は岩五郎《いわごろう》と呼び、関川の端《はず》れに怪しき旅人宿を営んでいたが、金の有る旅客を毒殺したとの疑いで高田《たかだ》城下へ引立てられ、入獄中に牢死した。母はそれを悲しんで、病を起して悶《もだ》え死に死んだ。
 兄の鉄之助《てつのすけ》というのが、その為に高田の松平《まつだいら》家を呪って、城内に忍び込み、何事をか企てようとしたところを、宿直《とのい》の侍女に見出されて捕えられた。それは当主|光長《みつなが》の母堂(忠直《ただなお》の奥方にして、二代将軍|秀忠《ひでただ》の愛女《あいじょ》)の寝室近くであった。その為に罪最も重く磔刑《はりつけ》に処せられたのであった。
 こういう因縁の下に滝之助は、高田の松平家を呪って呪って呪い抜き。
「何んとかして敵《かたき》を討つ! 怨恨《うらみ》を晴さいで措《お》
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