。腹心にはことごとく武田家の浪人筋を用い、軍用金として佐渡の黄金を溜めて置き、時機《おり》を見て、武田家再興の大陰謀を企てるのじゃで、随分忠勤を励まれよと言い含め、一方公儀に向っては、信州黒姫山の麓には、金脈有り気に見えまするで、佐渡へ上下の折々に試掘致しとう御座りまする。但し人目に触れぬように内密に立廻り致しますると、ウマイ事を言上して置き、腹心の者にあちらこちらと掘り散らさせ、その後へ又他の腹心を遣わして、密かに佐渡の金を埋め隠したのじゃ」
「佐渡の金山奉行、大久保石見守という方の噂は、能《よ》く聞いておりました」
「黄金一箱、十二貫目入り、合せて百箱を五十駄積の船に載せ、毎年五隻から十隻と、今町津まで積み出された。その中を巧《うま》く抜き取ったのじゃ。拙老が三増峠で介抱した老人も、石見守が腹心の一人じゃった。そこで隠した場所は、一々石見守が地図に書き入れ、目じるしの岩石、或は立木、谷川、道筋、神社、道標《みちしるべ》、それより何歩、どの方角にと、そういう風に委《くわ》しく記したのを、正副二枚だけ拵《こしら》え上げ、腹心の皆々立会の上、正の地図を石見守が取り、副の地図を人数だけに切放し、銘々その一片|宛《ずつ》に所持する事にして、万一石見守不慮の死を遂げた場合に、その切図を皆々持寄り、元の如く継ぎ合せて、隠し場所を見出すという仕掛けじゃ。一人一人、自分の隠した処を知っていても、他の者の処は知らぬので、左様に取極《とりき》めたのは石見守の智慧《ちえ》じゃ。そうして切図は薄い油紙に包み、銘々印籠の二重底に隠し置くという、これもその時の申合せじゃ。そうして置いて陰険な石見守は、腹心の者を一人ずつ、毒殺、或は暗殺など致して退《の》けた。三増峠の老人は、中途で、それを覚ったので、慌だしく九州路に逃げ延びて、命だけは取留めていたという」
「その石見守は疾《と》くに死去なされました筈」
「おう、慶長《けいちょう》十八年四月に頓死したが、本多上野介正純《ほんだこうずけのすけまさずみ》が石見守に陰謀が有ったと睨んで、直ちに闕所《けっしょ》に致し置き、妾《めかけ》を詮議して白状させ、その寝所の下を調べさしたところが、二重の石の唐櫃《からびつ》が出て、その中に又黒塗の箱が有り、それには武田家の定紋染めたる旗|一旒《いちりゅう》に一味徒党の連判状、異国の王への往復書類などが出たとある。
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