箪は一滴を留《とど》めずは情け無い。と云って、羽田の悪酒を詰めるでもありませんから、船中では有《あり》の実《み》でも噛《かじ》りましょう。食いさしを川の中へ捨てると、蝕歯《むしば》の痛みが留《とま》る呪法《まじない》でね」
 一番酔っているだけに、一番又能く喋《しゃべ》っていた。
「お客様、もう出しますよ」と女船頭の声。

       四

「どうも万事がトントン拍子、この風に白帆を張って川上に遡《のぼ》るのは、なんとも云えませんな。おやおや、弁天様のお宮の屋根が蘆の穂のスレスレに隠れて、あの松林よりも澪《みお》の棒杭の方が高く見えますな。おや川尻は、さすがに浪が荒い、上総《かずさ》の山の頂きを見せつ隠しつは妙々。姐さん、木更津《きさらづ》はどっちの見当かね」と宗匠は相変らず能く喋《しゃ》べった。
「木更津は巳《み》の方角ですから、ちょうどこうした見当で御座います。海上九里と申しますが、風次第でじきに行かれます」と娘は手甲に日を受けながら指示《さししめ》した。
 中間《ちゅうげん》の市助は艫《とも》の方に控えながら。
「宗匠、後ばかり見ねえで、まア先手《さきて》の川上をお見なせえ。羽
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