後も各要路に小激戦が行われたが今暁に至って全く鎮静し、数十名の死傷者のあったこと。政府にあったリー・シー・ツワンは今暁香港に飛行機で来り、直にホテル・マンションに入ったことが記事になっていた。
 緑色のカーテンが上昇した。米良はビイクトリア・ブリテッシュ・スクールの学生が、花園のなかのジャックソンの銅像に礼拝する姿を見るのであった。ジャックソンの胸で孔子廟が勲章の役目をしていた。西部のパノフォラム・ロードに虹が浮いて、香港は動乱の巷を他所に見て、植民地兵の配列のなかで、幾重にも市街を取巻いた軍用道路の設置と、無線電信台に集中される軍国主義の機密と、今日の支那に関する利権が活動を始めた。
 希臘《ギリシア》商人が自転車で忙がしく商取引所方面に疾走し出すころ、マダム・レムブルグが瀝青《れきせい》の浮いた黒襦子《くろじゅす》の着物をつけて朝のミルクのなかで接吻をすると、海峡を船脚|迅《はや》く航行する汽艇、陳独秀が汕頭に行く姿を指さすのであった。
 レムブルグが朝の情熱に癇高《かんだか》い声を震《ふる》わして云った。
 ――ああ! 陳独秀、貴方はライオン・ロックの高嶺のように赤裸々な方だから正義と自己の信念を愛したのです。貴方の汕頭での運命も広東軍の砲撃と、福州海軍の攻撃によって終って、西も東も分らぬ亡国の旅が始められるのです。
 米良は人心の泥水に溶解した社会に、孫文の人道的時代以前の歴史層が再び現出したのを知った。
 ――レムブルグ、これからは今日の戦勝者が明日の戦勝者に粉砕される無意義な動乱が揚子江を挟んで軍閥の雇兵達によって繰かえされるのです。人道主義の砲弾でさえ影を潜めて民族に対する愛着をなくした支那の現在が資本家とプロレタリアに分岐されず、国内に小協商、小同盟を作ってプチ・ブルジョワの戦が始められるのです。
 淡褐色の沖合に人間の死体を燃したような煙を吐いて、陳独秀の乗った汽艇が影を没した。
 レムブルグが嘆息して云った。
 ――他国と他国との秘密な取引所、個々の個人の制限のない政治的な争い、投機的な現在支那の商業上の競争、周期的経済恐慌。
 ――メラ、ヴェルレーヌの詩に、 
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余は滅亡を知る帝国なり。
余は白色人の侵入を徒《いたず》らに眺めいる帝国なり。
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 と、云う一句があるのです。しかしまた妾はこの支那の混沌
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