で遺言を作成し、翌日ムウドンの食堂で今まで同棲者であったロオズ夫人と、婚礼の式を挙行なさいました。空虚になったロダンさんはロオズ夫人に短い晩年の安息所を求めたのです。一九一七年十一月十七日妾はロダンさんの死の通知を受けて、巴里へ参りました。妾が巴里に着いた時は、ロダンさんの死によって巴里はロダンさんの芸術に対する讃美が轟々《ごうごう》として世論の渦となって巻いていました。そして今や、バルザックの寝巻姿をロダン第一の傑作とする批評の論が民衆を煽《あお》って、オテル・ド・※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ロンに観覧者の列が続きました。翌日ロダンさんの遺言書が発表されバルザックの寝巻姿と花子《アナコ》の首は日本女優花子に残さるべきものなり、と云う遺言書を見た巴里の市民は愕然としてしまったのです。
妾がムウドンのロダンさんの墓を訪ねたのは、それから数日後でした。妾が自分の名前を門番の老人に伝えると、静かに門を開かれました。妾はしばしオウギュスト・ロダン氏の墓の前に跪《うずく》まって、過去のロダンさんの妾に対する深い愛に咽《むせ》び泣きました。そしてその時妾は、妾の背後に啜《すす》り泣きの
前へ
次へ
全31ページ中28ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
吉行 エイスケ の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング