コーの後援者の或公爵夫人のところに当分身を落着けたのです。妾は公爵夫人の御親切で、ツアールの巨鐘《きょしょう》の殷々《いんいん》たる響きをききながら、クレムリン宮殿附近の邸宅で数ヶ月を過した或日、ロダンさんからのお手紙で、あなたの健康のよくなり次第巴里に帰って貰いたい。花子《アナコ》の首は自分の最後の作として一日も早く製作にとりかかりたい、というお言葉だったのです。妾はロダンさんのお手紙を見ると巴里に魅いられたもののように、直ちにモスコーを出発して、バルザックの寝巻姿のあるオテル・ド・※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ロンに帰って来ました。今や妾にとって、バルザックの像は、妾の生命だったのです。バルザック像に対する妾の信仰が唯一の佐野に対する妾の追悼でした。そして遂に妾は、妾の記憶の裡《うち》から佐野を葬ってしまったのです。
 幾年かの後、花子《アナコ》の恐怖の首は完成されました。ロダンさんは妾の魂を粘土の塊の中に、移すことに成功なすったのです。バルザック像の影を作ることが、自分の精神的な永遠を表明し、それをオテル・ド・※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ロンに残すことが出来たの
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