てしまったのです。眼の前に黒い雲のような緞帳《どんちょう》が下りて来て、佐野の姿が消えると妾は意識を失ってしまいました。

     ロダンの遺言

 数年後、欧洲大戦乱が勃発して、伯林《ベルリン》にあった妾は一座を解散して、単独でムウドレのロダンさんのお室に身を寄せました。一九一四年|独逸《ドイツ》軍はマルヌを渡って巴里《パリ》が陥り、内閣はボルドウに移ったのです。ロダンさんはロオズ夫人と妾を連れてカレー港から、ドーバーの港に着のみ着のままで避難しました。英仏海峡の難避者《なんぴしゃ》を満載した船の上で、過去の傷ましい事件が私の記億を新たにするのでした。モナコの賽《さい》の目に現れた不吉が、佐野を行方不明にしてしまい、妾は傷の癒《い》えるまでニースの赤十字病院にロダンさんの手厚い看護を受けました。傷が癒えると再びオテル・ド・※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ロンのバルザックの寝巻姿のあるアトリエに妾は姿を現したのです。併し、当時妾の心の悩みは屡屡《しばしば》佐野の幻影に攪乱され、ひどく妾の心身の疲れてるのを心配して、ロダンさんは妾にモスコー行きをお薦めになりました。そこで妾はモス
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