れると世論は沸騰して、ロダン後援会の人々でさえ呆然としてしまったのだそうです。人々はロダンの精神状態を疑い、モンマルトルの寄席では喜劇にまでこれを使用し、ロダンを揶揄《やゆ》したのです。文芸家協会は作品の受取を拒否し、サロンはその撤回をロダンさんに迫ったのですが、ロダンさんは沈黙して自分の意見を発表することはなさらなかったのです。こうして寝巻姿のバルザック像は完成と共に、ロダンさんの部屋でロダンさんの自己となったのです。そして、芸術の単純化された姿は、ロダンさんの生命となったのです――。
 ロダンさんはモデル台で、彫刻の裡に潜む自然の力に打ち負かされて偶像のように立っている妾に近づいていらっしゃると、妾のウェイスト・クロスをおとりになったのです。そして妾は、それを拒否する理由がなかったのです。妾の人格はロダンさんの偉大な人格の力のなかに犇《ひし》と棲《す》んだのです。
 そして、その時ロダンさんは妾に仰有ったのです。
「愛《あい》する花子《アナコ》。貴女はわしの意中を理解されたようだ。このバルザック像であるが、わしはわしの生命の影が欲しいのだ。|小さい花子《プチト・アナコ》。わしは貴女
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