代の変態で、この両者は畢竟理想教たる倫理教において統一せらるべきもので、すなわち今日の倫理をずっと宗教化し、今日の宗教をずっと倫理化して、そして畢竟今日の倫理および宗教より進んだ立場に帰着すれば、おのずからそれが理想教たる倫理教となる次第である。今日の倫理のあきたらぬところは、あまりにそれが宗教的情操を欠いているからである。倫理に関する知識としては成立しておっても情意の側においてはなはだ無勢力であるというのは、宗教的色彩のきわめて貧弱なるがためである。
六 教育論
つぎに教育について一言すれば、教育の目的は道徳的人格者をつくるにあるけれども、それはけっして国家的民族的要求と無関係のものではない。人格実現はその特殊なる国家的民族的関係を離れてなし得られるものではない。やはり特殊なる境遇に適応したる実現の方法を採らなければならぬ。それであるから道徳的人格者をつくるにあるといっても、けっして個人主義的の意義ではない。やはり国家的民族的の関係を有するもの、広くいえば、社会的関係を有するものでなければならないのである。
教育と宗教との関係は教育上なかなか重大な問題である。今日の教育
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