格が絶対的に完全なりや否や、なお研究の余地があるようである。けれども、比較的によく道を体現し、人格を完成したものとして、長く後世に模範を垂れたものというべきである。この観点からいえば、孔子だの、仏陀だの、クリストだの、ソークラテースだの、みな人格修養上最好の実例として仰慕すべきところである。
 倫理には普遍的一般的方面と特殊的差別的方面とがあるものと見なければならぬ。明治以来、倫理を講ずるものがややもすれば一般的普遍的の方面のみに着眼して、特殊的差別的方面を度外視するの傾向あるは、実践道徳の上から見てはなはだその当を得ざるものである。それで自分は国民道徳を力説することになったのである。国民道徳のことをいうものは明治の初年からあったけれど、これを一箇の学として講じなければならぬようになったのは、明治の末年からである。それには自分が主として関係したことで、その要旨は『国民道徳概論』にまとめてあるのである。殊に中島力造のごとく西洋倫理を翻訳的に紹介し、全く一般的普遍的の倫理を講じて、毫も東洋倫理殊にわが日本の国民道徳を説かないということはあまりに実際に適しないやりかたで、どうしても倫理は東西
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