そしてこの果敢《はか》ない影を捕えんとしては幾度か墓の※[#「門<困」、第4水準2−91−56]《しきい》に躓《つまず》いているのではあるまいか。凡《およ》そ何がはかないと云っても、浮世の人の胸の奥底に潜んだまま長い長い年月を重ねて終《つい》にその人の冷たい亡骸《なきがら》と共に葬られてしまって、かつて光にふれずに消えてしまう希望程はかないものがあろうか。
浮世の人はいかなる眼で彼を見るであろうか。各自の望みを追うに暇《いとま》のない世人は、たまに彼の萎《しな》びた掌《てのひら》に一片の銅貨を落す人はあっても、おそらくはそれはただ自分の心の中の慈善箱に投げ入れるに過ぎぬであろう。そして今特別の同情を以て見ている余にさえも、この何処の何人とも知れぬ人の記憶が長く止まっていようとも思われぬ。
彼はたぶん恋した事もあろう。そして過ぎ去った青春の夢は今|幾何《いくばく》の温まりを霜夜《しもよ》の石の床にかすであろうか。
彼はたぶん志を立てた事もあろう。そして今|幾何《いくばく》の効果を墓の下に齎《もたら》そうとしているのであろう。
このような取り止めのない妄想に耽っている間に、老人の淋
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