形として成立しうるかもしれないが、しかしそれでは、それ自身としての存在を有するきまった足場の上に立つところの、従って一つのきまった名によって呼ばるべき詩形は成立し得ない。気ままにピアノの鍵盤《けんばん》をたたきまわっても一つの音楽であるかもしれないがソナタにはならないと同様である。そういう意味における統制的要素としての定座が勤めるいろいろの役割のうちで特に注目すべき点は、やはり前述のごとき個性の放恣《ほうし》なる狂奔を制御するために個性を超越した外界から投げかける縛繩《ばくじょう》のようなものであるかと思われる。個性だけでは知らず知らずの間に落ち込みやすい苟安自適《こうあんじてき》の泥沼《どろぬま》から引きずり出して、再び目をこすって新しい目で世界を見直し、そうして新しい甦生《そせい》の道へ駒《こま》の頭を向け直させるような指導者としての役目をつとめるのがまさにこの定座であるように思われるのである。
もっとも連句におけるいっさいの他の規約、たとえば季題や去《さ》り嫌《きら》いの定めなどもある程度まではやはり前述のごとき統制的の役目をつとめることはもちろんであるが、しかしこれらの制限と月花の定座の制限とでは言わば次元的《ディメンショナル》に大きな差別がある。前者の拘束範囲が一つの面であるとすれば、後者はその面内にただ一つの線を画するような感じがある。もしこういう拘束がなかったとすると各自の個性はその最も安易な出入り口にのみ目を向けるであろうが、定座の掟《おきて》によってそれらのわがままの戸口をふさがれてしまうので、そこでどうにかそこから抜け出しうべく許されたただ一筋の困難な活路をたどるほかはないことになる。しかしそこをくぐることによって、もしそうでなかったら決して生涯《しょうがい》見ることのなかったはずの珍しく新しい国を遍歴する第一歩を踏み出すことができるのである。もっともこのようなことは何も連句に限らず他の百般の事がらに通有ないわゆる「転機」の妙用に過ぎないので、われわれ人間の生涯の行路についても似よったことが言われるであろうが、そういう範疇《はんちゅう》の適切なる一例として見らるるという点に興味があるであろう。またそう見ることによって定座の意義が明瞭《めいりょう》となり、また制作に当たっての一つの指針を得ることができるであろうかと思われる。
そういう役目を月と
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