連句雑俎
寺田寅彦
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)風呂桶《ふろおけ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)往々|諧謔的《かいぎゃくてき》な
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「月+昔」、第3水準1−90−47]
−−
一 連句の独自性
日本アジア協会学報第二集第三巻にエー・ネヴィル・ホワイマント氏の「日本語および国民の南洋起原説」という論文が出ている。これはこの表題の示すごとく、日本国語の根源が南洋にある事を論証し、従って国民祖先の大部分もまた南洋から渡来したものだと論断しようとするものである。この学説の当否についてはもちろん種々の議論があるであろうが、ここではもちろんそれは問題にしない。この論文の始めの序説中、日本人の独創能力に乏しい事を述べた一節に、チャンバレーン博士の言ったという言葉を引いて、「この邦土で純粋に日本固有というべきものはただ二つ、それは風呂桶《ふろおけ》とそうしてポエトリーである」と述べている。また「もっと意地の悪いある批評家は『だれもたぶんこの二つのどれもを召し上げたいとは思わないだろう』と言った」とある。この所説の当否もここでは問題にしない。ただこのいわゆるポエトリーがここで何をさすかが問題である。不幸にして私はこのチャンバレーンの言葉がどこに発表されているかを知らないから今たしかにこの点を追究する道がない。しかしたぶんこれはまず和歌をさし、そうして事によると俳句も含まれているのではないかと思うのである。
このように、これ以上惨酷にはあり得ないと思うほど惨酷な目で日本の文化をながめたときでさえ、ともかくも目立って見える日本固有の詩形の中でも特に俳諧連句《はいかいれんく》という独自なものの存在する事をこれらの毛唐人《けとうじん》どもが知っていたかどうか、たとえそういう詩形の存在を概念的に知っていたとしてもほんとうにその内容を理解し正当に估価《こか》し得たであろうという事はほとんど不可能であると思われる。
西洋人が俳諧を理解し得ないというのは、われわれ日本人が厳密に正当にゲーテやシェークスピアを理解しないというのとはちがって、そこにもう一つ輪をかけた困難があると思われ
次へ
全44ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング