の下ではやはり連絡していると思われるからである。この点についてはさらに深く考究してみたいと思っている。ともかくも一度こういうふうに創作心理を分析した上で連句の鑑賞に心を転じてみると、おのずからそうする以前とはいくらかちがった心持ちをもって同じ作品を見直すことができはしないか。そうして付け合わせの玩味《がんみ》に際してしいて普遍的論理的につじつまを合わせようとするような徒労を避け、そのかわりに正真な連句進行の旋律を認識し享楽することができはしないかと思うのである。
 専門の心理学者ことに精神分析学者の目で連句の世界を見渡せばまだまだおもしろい問題や材料は数限りもなく得られるであろうと想像される。そういう方面の学者でこの日本独特の芸術の分析的研究に手を着ける人が一人でもできれば喜ばしいことである。
[#地から3字上げ](昭和六年八―十月、渋柿)

     六 月花の定座の意義

 連句の進行の途上ところどころに月や花のいわゆる定座《じょうざ》が設定されていて、これらが一里塚《いちりづか》のごとく、あるいは澪標《みおつくし》のごとく、あるいは関所のごとく、また緑門のごとく樹立している。これは連句というものの形式的要素の中でもかなり重要なものであって、全体の構造上の締めくくりをつける留釘《リベット》のような役目をつとめているようである。いつごろからだれらが規定したものか、そういう由緒《ゆいしょ》来歴については自分はまだなんらの知識をも持たないのであるが、ただ自分で連句の制作に当面している場合にこれらの定座に逢着《ほうちゃく》するごとに経験するいろいろな体験の内省からこれら定座の意義に関するいくらかの分析を試みることはできるので、その考察の一端を述べてみたいと思うのである。
 前に連句の付け合わせの心理的機巧を述べたときに詳説しておいたように、前句と付け句とは二つの個性の部分的重合によって連結されたものであって、連句の全体はそういうものの連鎖の一系列を形成している。従ってその連鎖のつながり方を規定するものは作者各自の個性のアンサンブルである。ところがそういう集団の組織は時と場合により多種多様であるから、もしそこになんらか外側から人工的に加えられた制限がないとしたら、その結果はどこへどうそれて行くか見きわめがつかないものになってしまうであろう。そういうものもまた一つの自由な詩
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