次が「干鰯俵《ほしかだわら》のなまぐさき」である。この二つの歌仙は同年にできてはいるようであるが、この二つのものの中間にいかなる連中と何回いかなる連句を作っているかそれは私には全くわからない。しかし私の書き抜いた長短わずかに二十三句の中にこういう「魚鳥」複合といったようなものが三度までも現われているのは決して偶然とは思われない。たとえば利牛《りぎゅう》の句十八の中に鳥類は二度現われるが魚類は一つも現われないのである。
史邦《ふみくに》の句三十八ばかりを書き抜いてすぐ気のついたことは「雨月」複合の多いことである。「月細く小雨にぬるる石地蔵」「酒しぼるしずくながらに月暮れて」「塩浜にふりつづきたる宵《よい》の月」「月暮れて雨の降りやむ星明かり」以上いずれも雨の月であるが、もう一つおまけに「傘《からかさ》をひろげもあえずにわか雨」というのがある。ここでは月の代わりに傘が出ている。それからこれは一見しただけではあまり明白ではないが、「寒そうに薬の下をふき立てて」「土たく家のくさききるもの」「よりもそわれぬ中は生かべ」「すり鉢《ばち》にうえて色つく唐がらし」少し逆もどりして別の巻「溝《どぶ》汲《く》むかざの隣いぶせき」の五句のごときも、事によると一種の土臭いにおいを中心として凝集した観念群を想像させる。
岱水《たいすい》について調べてみる。五十句拾った中で食物飲料関係のものが十一句、すなわち全体の二十二プロセントを占めている。こういうのを前記の観念群と同一視してよいか悪いかは少し疑わしいがともかくもおもしろい例である。史邦《ふみくに》の場合には「薬」も入れて飲食物と見るべきものが三十八分の三、即ち八プロセント弱である。これくらいならば普通であるかもしれないが、岱水の場合は少し多すぎるように思われる。それからまた岱水では「醤《もろみ》のかびをかき分けて」というのと、巻はちがうが「月もわびしき醤油《しょうゆう》の粕《かす》」というのがある。この二度目の月と醤油《しょうゆ》との会合ははなはだ解決困難であるが、前の巻の初めに、史邦の「帷子《かたびら》」の発句と芭蕉の脇《わき》「籾《もみ》一升を稲のこぎ賃」との次に岱水が付けた「蓼《たで》の穂に醤《もろみ》のかびをかき分けて」を付けているところを見ると、岱水の頭には何かしら醤油のようなものと帷子との中間にまたがる観念群があるのではな
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