くりゅう》で見たと同じ道普請のローラーで花崗石《みかげいし》のくずをならしている。その前を赤い腰巻きをしたインド人が赤旗を持ってのろのろ歩いていた。
エスプラネードを歩く。まっ黒な人間が派手な色の布を頭と腰に巻いて歩いているのが、ここの自然界とよく調和していると思って感心した。
宝石屋の前を通ると、はいって見ろと無埋にすすめる。見るだけでいいからはいれという。自分の持っている蝙蝠傘《こうもりがさ》をほめて、売ってくれと言う。売るのがいやなら宝石と換えぬかという。T氏の傘を見て This no good. というと、また一人が This good, but that the best. と訂正した。
いわゆる日本街を人力車で行った。道路にのぞんだヴェランダに更紗《さらさ》の寝巻のようなものを着た色の黒い女の物すごい笑顔《えがお》が見えた、と思う間に通り過ぎてしまう。
オテルドリューロプで昼食をくう。薬味のさまざまに多いライスカレーをくって氷で冷やしたみかん水をのんで、かすかな電扇のうなり声を聞きながら、白服ばかりの男女の外国人の客を見渡していると、頭の中がぼうとして来て、真夏の昼寝の夢のような気がした。
植物園へはいる。芝生《しばふ》の上に遊んでいた栗鼠《りす》はわれわれが近よるとそばの木にかけ上った。木の間にはきれいな鳥も見かける。ねむの花のような緋色《ひいろ》の花の満開したのや、仏桑花《ぶっそうげ》の大木や、扇を広げたような椰子《やし》の一種もある。背の高いインド人の巡査がいて道ばたの木の実を指さし「猿《さる》が食います」と言った。人糞《じんぷん》の臭気があるというドリアンの木もある。巡査は手を鼻へやってかぐまねをしてそして手をふって「ノー・グード」と言い、今度は食うまねをして「ツー・イート・グード」と言う。動物はいないかと聞いたら「虎《とら》と尾長猿《おながざる》、おしまい、finished」といった。たぶん死んだとでもいう事だろうと思った。
水道の貯水池の所は眺望《ちょうぼう》がいい。暑そうな霞《かすみ》の奥に見える土地がジョホールだという。大きな枝を張った木陰のベンチに人相の悪い雑種のマライ人が三人何かコソコソ話し合っていた。
市場へ行く。玉ねぎや馬鈴薯《ばれいしょ》に交じって椰子の実やじゃぼん、それから獣肉も干し魚もある。八百屋《やおや》がバイオリンを鳴らしている。菓汁《かじゅう》の飲料を売る水屋の小僧もあき罐《かん》をたたいて踊りながら客を呼ぶ。
船へ帰るとやっぱり宅《うち》へ帰ったような気がする。夕飯には小羊の乗った復活祭のお菓子が出る。夜は荷積みで騒がしい。
四月十二日
朝から汗が流れる。桟橋《さんばし》にはいろいろの物売りが出ている。籐《とう》のステッキ、更紗《さらさ》、貝がら、貝細工、菊形の珊瑚礁《さんごしょう》、鸚鵡《おうむ》貝など。
出帆が近くなると甲板は乗客と見送りでいっぱいになった。けさ乗り込んだ二等客の子供だけが四十二人あるとハース氏が言う。神戸《こうべ》で乗った時は全体で九人であったのに。
マライ人がカノーのようなものに乗って、わが船のそばへ群がって来て口々にわめく。乗客が銭を投げると争ってもぐって拾い上げる。I say ! Herr Meister ! Far away, far away ! One dollar, all dive ! などと言っているらしい。自分はどうしても銭をなげる気になれなかった。
船が出る時|桟橋《さんばし》に立った見送りの一組が「オールド・ラング・サイン」を歌った。船の上でも下でも雪白の服を着た人の群れがまっ白なハンケチをふりかわした。
[#地から3字上げ](大正九年八月、渋柿)
四 ペナンとコロンボ
四月十三日
……馬車を雇うて植物園へ行く途中で寺院のような所へはいって見た。祭壇の前には鉄の孔雀《くじゃく》がある。参詣者《さんけいしゃ》はその背中に突き出た瘤《こぶ》のようなものの上で椰子《やし》の殻《から》を割って、その白い粉を額へ塗るのだそうな。どういう意味でそうするのか聞いてもよくわからなかった。まっ黒な鉄の鳥の背中は油を浴びたように光っていた。壇に向かった回廊の二階に大きな張りぬきの異形な人形があって、土人の子供がそれをかぶって踊って見せた。堂のすみにしゃがんでいる年とった土人に、「ここに祭ってあるゴッドの名はなんというか」と聞いたら上目に自分の顔をにらむようにしてただ一言「スプロマニーン」と答えた――ようであった。しかしこれは自分の問いに答えたのか、別の事を言ったのだかよくわからなかった。ただこの尻上《しりあ》がりに発音した奇妙な言葉が強く耳の底に刻みつけられた。こんな些細《ささい》な事でも自分の異国的情調を高める
前へ
次へ
全14ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング