わく。道ばたを見るとそら色の朝顔が野生していた。……
美しい緑の草原の中をまっかな点が動いて行くと思ったらインド人の頭巾《ずきん》であった。……町の並み木の影でシナの女がかわいい西洋人の子供を遊ばしている。その隣では仏桑花《ぶっそうげ》の燃ゆるように咲き乱れた門口でシャツ一つになった年とった男が植木に水をやっていた。
測候所の向かいは兵営で、インド人の兵隊が体操をやっている。運動場のすみの木陰では楽隊が稽古《けいこ》をやっているのをシナ人やインド人がのんきそうに立って聞いている。そのあとをシナ人の車夫が空車をしぼって坂をおりて行く。
船へ帰ると二等へ乗り込むシナ人を見送って、おおぜいの男女が桟橋《さんばし》に来ていた。そしていかにもシナ人らしくなごりを惜しんでいるさまに見えた。中には若い美しい女もいた。そしてハンケチや扇にいろいろの表情を使い分けて見せるのであった。十二時過ぎに出帆するとき見送りの船で盛んに爆竹を鳴らした。
甲板へズックの日おおいができた。気温は高いが風があるのでそう暑くはない。チョッキだけ白いのに換える。甲板の寝椅子《ねいす》で日記を書いていると、十三四ぐらいの女の子がそっとのぞきに来た。黒んぼの子守《こもり》がまっかな上着に紺青《こんじょう》に白縞《しろじま》のはいった袴《はかま》を着て二人の子供を遊ばせている。黒い素足のままで。
ホンコンから乗った若いハイカラのシナ人の細君が、巻煙草《まきたばこ》をふかしていた。夫もふかしていた。
[#地から3字上げ](大正九年七月、渋柿)
三 シンガポール
四月八日
朝から蒸し暑い。甲板でハース氏に会うと、いきなり、芝《しば》の増上寺《ぞうじょうじ》が焼けたが知っているか、きのうのホンコン新聞に出ていたという。かなりにもう遠くなった日本から思いがけなくだれかが跡を追って来てことづてを聞かされるような気がした。
船客の飼っている小鳥が籠《かご》を放れて食堂を飛び回るのをつかまえようとして騒いでいた。鳥はここが果てもない大洋のまん中だとは夢にも知らないのだろう。
飛び魚がたくさん飛ぶ、油のようなうねりの上に潮のしずくを引きながら。そして再び波にくぐるとそこから細かい波紋が起こってそれが大きなうねりの上をゆるやかに広がって行く。
きのう日記をつけている時にのぞいた子供に、どこまで行くと聞いたらスペインへと言う、スペイン人かと聞くとそうだといった。
全部白服に着かえる。
四月九日
ハース氏と国歌の事を話していたら、同氏が「君が代」を訳したのがあると言って日記へ書き付けてくれた、そしてさびたような低い声で、しかし正しい旋律で歌って聞かせた。
きのうのスペインの少女の名はコンセプシオというのだそうな。自分ではコンチャといっている。首飾りに聖母の像のついたメダルを三つも下げている。
昼ごろサイゴンの沖を通る。
四月十日
朝十時の奏楽のときに西村《にしむら》氏がそばへ来て楽隊のスケッチをしていた。ボーイがリモナーデを持って来たのを寝台の肱掛《ひじか》けの穴へはめようとしたら、穴が大きすぎたのでコップがすべり落ちて割れた。そばにいた人々はだれも知らん顔をしていた。かえってきまりが悪かった。
午後には海が純粋なコバルト色になった。
四月十一日
きょうは復活祭《オステルン》だという。朝飯の食卓には朱と緑とに染めつけたゆで玉子に蝋細工《ろうざいく》の兎《うさぎ》を添えたのが出る。米国人のおばあさんは蝋《ろう》とは知らずかじってみて変な顔をした。ハース氏に聞いてみると、これは純粋なドイツの古習で、もとはある女神のためにささげた供物だそうな。今日では色つけ玉子を草の中へかくして子供に捜させる、そしてこの玉子は兎《うさぎ》が来て置いて行ったのだと教えるという。
朝飯が終わったころはもうシンガポール間近に来ていた、そして強い驟雨《しゅうう》が襲って来た。海の色は暗緑で陸近いほうは美しい浅緑色を示していた。みごとな虹《にじ》が立ってその下の海面が強く黄色に光って見えた。右舷《うげん》の島の上には大きな竜巻《たつまき》の雲のようなものがたれ下がっていた。ミラージュも見えた。すべてのものに強い強い熱国の光彩が輝いているのであった。
船はタンジョンパガールの埠頭《ふとう》に横づけになる。右舷に見える懸崖《けんがい》がまっかな紅殻色《べんがらいろ》をしていて、それが強い緑の樹木と対照してあざやかに美しい。
西村氏が案内をしてくれるというのでいっしょに出かける。祭日で店も大概しまっており郵便局も休んでいる。つり橋のたもとの煙草屋《たばこや》を見つけて絵はがきと切手を買う。三銭切手二十枚を七十五銭に売るから妙だと思って聞くと「コンミッシォン」だと言った。
九竜《
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