岩間を走る波は白い鬣《たてがみ》を振り乱して狂う銀毛の獅子のようである。暗緑色に濁った濤《なみ》は砂浜を洗うて打ち上がった藻草をもみ砕こうとする。夥《おびただ》しく上がった海月《くらげ》が五色の真砂《まさご》の上に光っているのは美しい。
寛《くつろ》げた寝衣《ねまき》の胸に吹き入るしぶきに身顫《みぶる》いをしてふと台場の方を見ると、波打際《なみうちぎわ》にしゃがんでいる人影が潮霧の中にぼんやり見える。熊さんだと一目で知れた。小倉《こくら》の服に柿色の股引《ももひき》は外にはない。よべの嵐に吹き寄せられた板片木片を拾い集めているのである。自分は行くともなく其方《そっち》へ歩み寄った。いつもの通りの銅色《あかがねいろ》の顔をして無心に藻草の中をあさっている。顔には憂愁の影も見えぬ。自分が近寄ったのも気が付かぬか、一心に拾っては砂浜の高みへ投げ上げている。脚元近く迫る潮先も知らぬ顔で、時々頭からかぶる波のしぶきを拭おうともせぬ。
何処の浦辺からともなく波に漂うて打上がった木片板片の過去の歴史は波の彼方に葬られて、ここに果敢《はか》ない末を見せている。人の知らぬ熊さんの半生は頼みにならぬ人
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