の心から忘られてしまった。遠くもない墓の※[#「門<困」、第4水準2−91−56]《しきい》に流木を拾うているこのあわれな姿はひしと心に刻まれた。
壮大なこの場の自然の光景を背景に、この無心の熊さんを置いて見た刹那《せつな》に自分の心に湧いた感じは筆にもかけず詞《ことば》にも表わされぬ。
宿へ帰ったら女中の八重が室の掃除をしていた。「熊公の御家はつぶれて仕舞ったよ」と云ったら、寝衣を畳みながら「マア可哀相にあの人も御かみさんの居た頃はあんなでもなかったんですけれど」と何か身につまされでもしたようにしみじみと云った。自分はそれに答えず縁側の柱に凭れたまま、嵐も名残と吹き散る白雲の空をぼんやり眺めていた。
[#地から1字上げ](明治三十九年十月『ホトトギス』)
底本:「寺田寅彦全集 第一巻」岩波書店
1996(平成8)年12月5日発行
入力:Nana ohbe
校正:佳代子
2003年12月14日作成
青空文庫作成ファイル:
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