たちであった。日本のマルキシストなどとはだいぶちがった感じのする人たちであった。映画監督のシュネイデロフ氏はだれも格好な話し相手がなくて、すみのほうの椅子《いす》に押し黙って所在なさそうに見えた。日本の学者たちの、この人にはおそらくはなはだ珍しかったであろうと思われる風貌《ふうぼう》を彼一流のシネマの目で観察していたことであろう。
その翌日また別の席でこれらの人たちと晩餐《ばんさん》を共にしてシュミット、ウィーゼ両氏の簡単な講演を聞く機会を得た。
北極をめぐる諸科学国が互いに協力して同時的に気象学的ならびに一般地球物理学的観測を行なういわゆるインターナショナル・ポーラー・イヤーに際会してソビエト政府は都合八組の観測隊を北氷洋に派遣した。その中の数隊は極北の島々にそれぞれの観測所を設けて地磁気や気象の観測をしたり、あるいは火薬の爆発によって人工地震波を作りそれを地震計で観測した結果から氷盤の厚さを測定したり、あるいはまた近ごろ学界の問題になっている宇宙線《コスミックレー》に連関して空気の電離状態を研究したりすることになっている。またチェリュスキン岬《みさき》とレナ河口とにも観測所を設
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