て来たものが多少生理的にも共通な点を具えていて、そしてある同じ時期に死病に襲われるという事は、全く偶然の所産としてしまうほどに偶然とも思われない。
このような種類の機微な吻合《ふんごう》がしばしば繰り返されて、そしてその事が誇大視された結果としていわゆる厄年の説が生れたと見るべき理由が無いでもない。
ある柳の下にいつでも泥鰌《どじょう》が居るとは限らないが、ある柳の下に泥鰌の居りやすいような環境や条件の具備している事もまたしばしばある。そういう意味でいわゆる厄年というものが提供する環境や条件を考えてみたらどうだろう。
「思考の節約」という事を旗じるしに押し立てて進んで来たいわゆる精密科学は、自然界におけるあらゆる物並びにその変化と推移を連続的のものと見做《みな》そうとする傾向を生じた。そして事情の許す限りは物質を空隙のないコンチニウムと見做す事によってその運動や変形を数学的に論じる事が出来た。あらゆる現象は出来るだけ簡単な数式や平滑な曲線によって代表されようとした。その同じ傾向は生物に関する科学の方面へも滲透して行った。そして「自然は簡単を愛す」と云ったような昔の形而上的な考えがまだ漠然とした形である種の科学者の頭の奥底のどこかに生き残って来た。
しかしそういう方法によって進歩して来た結果はかえってその方法自身を裏切る事になった。物質の不連続的構造はもはや仮説の域を脱して、分子や原子、なおその上に電子の実在が動かす事の出来ないようになった。その上にエネルギーの推移にまでも或る不連続性を否《いな》む事が出来なくなった。生物の進化でも連続的な変異は否定されて飛躍的な変異を認めなければならないようになった。
水の流れや風の吹くのを見てもそれは決して簡単な一様な流動でなくて、必ずいくらかの律動的な弛張がある、これと同じように生物の発育でも決して簡単な二次や三次の代数曲線などで表わされるようなものではない。
例えば昆虫の生涯を考えても、卵から低級な幼虫になってそれがさなぎ[#「さなぎ」に傍点]になり成虫になるあの著しい変化は、昆虫の生涯における目立った律動のようなものではあるまいか。
人間の生涯には、少なくも母体を離れた後にこのように顕著な肉体的の変態があるとは思われない。しかしある程度の不連続な生理的変化がある時期に起る事もよく知れ渡った事実である。蚕《かいこ》や蛇が外皮を脱ぎ捨てるのに相当するほど目立った外見上の変化はないにしても、もっと内部の器官や系統に行われている変化がやはり一種の律動的|弛張《しちょう》をしないという証拠はよもやあるまいと思われる。
そのような律動のある相が人間肉体の生理的危機であって不安定な平衡が些細《ささい》な機縁のために破れるやいなや、加速的に壊滅の深淵に失墜するという機会に富んでいるのではあるまいか。
このような六《むつ》ヶしい問題は私には到底分りそうもない。あるいは専門の学者にも分らないほど六ヶしい事かもしれない。
それにしても私は今自分の身体に起りつつある些細な変態の兆候を見て、内部の生理的機能についてもある著しい変化を聯想しないではいられない。それと同時に私の心の方面にもある特別な状態を認め得るような気がする。それが肉体の変化の直接の影響であるか、あるいは精神的変化が外界の刺戟《しげき》に誘発されてそれがある程度まで肉体に反応しているのだか分らない。
厄年の厄と見做されているのは当人の病気や死とは限らない。家庭の不祥事や、事業の失敗や、時としては当人には何の責任もない災厄までも含まれているようである。
街を歩いている時に通り合せた荷車の圧搾ガス容器が破裂してそのために負傷するといったような災厄が四十二歳前後に特別に多かろうと思われる理由は容易には考えられない。しかしそれほど偶然的でない色々な災難の源を奥へ奥へ捜《さぐ》って行った時に、意外な事柄の継起によってそれが厄年前後における当人の精神的危機と一縷《いちる》の関係をもっている事を発見するような場合はないものだろうか。例えばその人が従来続けて来た平静な生活から転じて、危険性を帯びたある工業に関係した当座に前述のような災難に会ったとしたらどうであろう。少なくも親戚の老人などの中にはこの災難と厄年の転業との間にある因果関係を思い浮べるものも少なくないだろう。しかしこれは空風《からかぜ》が吹いて桶屋が喜ぶというのと類似の詭弁《きべん》に過ぎない。当面の問題には何の役にも立たない。
しかしともかくも厄年が多くの人の精神的危機であり易《やす》いという事はかなりに多くの人の認めるところではあるまいか。昔の聖人は四十歳にして惑《まど》わずと云ったそうである。これが儒教道徳に養われて来たわれわれの祖先の標準となっていた。現代の人間が四十歳
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