自分の描いておいた絵を見せたりして閑談に耽《ふけ》るのがあの頃の子規の一つの楽しみであったろうということも想像される。
ともかくもあの頃の『ホトトギス』には何となしに活々《いきいき》とした創成の喜びと云ったようなものが溢れこぼれていたような気がするのであるが、それは半分は読者の自分がまだ若かったためかもしれない。しかしそうばかりでもないかもしれない。食物に譬《たと》えれば栄養価は乏しくても豊富なるビタミンを含有していた。そうして他にはこれに代わるべき御馳走はほとんどなかった。それが、大正昭和と俳句隆盛時代の経過するうちに、栄養に富んだ食物も増し料理法も進歩したことはたしかであるが同時にビタミンの含有比率が減って来て、缶詰料理やいかもの喰いの趣味も発達し、その結果|敗血症《はいけつしょう》の流行を来したと云ったような傾向がないとも限らない。
こうした輪廻《サイクル》の道程がもう一歩進んで墮落と廃頽の極に達し俳句が再び「宗匠」と「床屋」の占有物となる時代が来ると、そこではじめて次の輪廻の第一歩が始まるのではないかという気もする。その前にはどうしても一度行きつくところまで行く必要があるで
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