ケッチであつたが、普通の油画とは余程変つた色彩と描法とが眼についた。先生の説明によると、それは絵具を解くのに石油を使つて、画布も特別なものを用ゐるといふことであつた。今考へるとアブソルバンのことであつたらしい。黒田画伯と蓑田先生とは同県で旧知の間柄であつたのである。此の一枚の油画にしても先生の身辺を繞る一種特別な雰囲気を色づけるに有力なものであつた。当時先生から話された具体的の事柄は大抵忘れてしまつた。恐らく多くは六ヶし過ぎて当時の田舎の中学生には理解出来ないやうな事が多かつたかも知れない。併し先生の元気な話を聞く事が自分には愉快であつた。何よりも愉快なのは、それ迄は唯一色のみにしか見えなかつた世の中が、思ひもかけなかつた色々の光で照らし出されることが可能であるといふ啓示《アポカリプス》であつた。
 自分等が中学校を出て、九州の高等学校へ行つて居る留守に蓑田先生はK市の中学を去つてしまつた。校長と喧嘩をした為といふ噂もあつた。去るに臨んで生徒を講堂に集めて旧思想打破の大演説をやつて職員一同色を失つたといふたよりも聞いた。其の演説を評して「六尺の音叉一時に振ふが如し」と手紙に書いて来た友
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