クラメンという名前よりこの名のほうがなんとなくふさわしいような感じがする。あの女先生はその後どうしたのか。日本の留学生ばかりを弟子《でし》にして生活していたのが、大戦の爆発と共に留学生は皆引き上げるし、同時に日本人に対する市民の反感が高まった時に、なんらかのいやな経験をしたのではあるまいか、その後の生計をどうして立てて行ったろうか。これは何かのおりには時々思い出す事であった。先生は結婚後まもなく夫のドクトルに死なれ、退役軍人の父親と、夫の忘れがたみで、当時十四ぐらいであった娘のヒルデガルトと二人でさびしく暮らしていた。よくはわからぬが父親とはあまり仲がよくないらしかった。ある日われわれお弟子《でし》仲間二三人でこのヒルデガルトを連れて、ルイゼン座のおとぎ芝居を見に行った事がある。芝居は「雪姫」であった。観客の大部分は無論子供であったので、われわれ異国の大供連はなんだか少しきまりが悪いようであった。王妃に扮《ふん》した女優は恐ろしく肥《ふと》った女であったが、美しい声で「鏡よ鏡よ」を歌った。それから二三日たって聞いてみると、ちょうどその晩に先生は激烈な腹部の痙攣《けいれん》を起こして大騒
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