さえ危険思想宣伝の種にする先生方の手にかかれば老子はもちろん孔子でも孟子でも釈尊でもマホメットでもどのような風に解釈されどのような道具に使われるかそれは分からない。しかし『道徳教』でも『論語』でもコーランでも結局はわれわれの智恵を養う蛋白質《たんぱくしつ》や脂肪や澱粉《でんぷん》である。たまたま腐った蛋白を喰って中毒した人があったからと云って蛋白質を厳禁すれば衰弱する。
 電車で逢った背広服の老子のどの言葉を国定教科書の中に入れていけないといういわれを見出すことが出来なかった。日本魂を腐蝕する毒素の代りにそれを現代に活かす霊液でも、捜せばこの智恵の泉の底から湧《わ》き出すかもしれない。
 電車で逢った老子はうららかであった。電車の窓越しに人の頸筋《くびすじ》を撫《な》でる小春の日光のようにうららかであったのである。

      二 二千年前に電波通信法があった話

 欧洲大戦の正に酣《たけなわ》なる頃、アメリカのイリノイス大学の先生方が寄り集まって古代ギリシアの兵法書の翻訳を始めた。その訳《わけ》は、人間の頭で考え得られる大概の事は昔のギリシア人が考えてしまっている、それだからギリシ
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