方は復帰である」と訳してあるが、これはアインシュタインの宇宙を指しているようで面白い。また「無有入於無間《あることなきはむかんにいる》」を「個体性のないものは連続的物質中に侵入する」と訳しているが、これは、何となく古典物理学のエーテルを云っているようで面白い。「故致数車無車《ゆえにくるまをかぞうることをいたせばくるまなし》」を「部分の総和は全体ではない」と訳しているのでも、当否は別としてやはり面白い。欠けた硝子《ガラス》片を寄せたものは破《わ》れない硝子板にはならないのである。
老子は虚無を説くから危険思想だとこわがる人があるそうである。しかし自分が電車で巡り合った老子の虚無は円満具足を意味する虚無であって、空っぽの虚無とは全く別物であった。老子の無為は自覚的には無為であるが実は無意識の大なる有為であった。危険どころかこれほど安全な道はないであろう。充実したつもりで空虚な隙間だらけの器物はあぶなく、有為なつもりの無能は常に大怪我の基である。老子の忠告を聞流しているために恐ろしい怪我や大きな損をした個人や国家は歴史のどの頁にもいっぱいである。
桃太郎や猿蟹合戦のお伽噺《とぎばなし》で
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