気がして来たのである。御馳走の直接の結果であるか、それとも御馳走に随伴する心身の疲労のためだかその点は分からないが、とにかく事実そういう場合が多いらしい。
 昔から、粗食が長寿の一法だとの説がある。これは考えてみると我がM君の説を裏側から云ったもののように思われて来る。一体普通の道理から云うと年をとればうまいものを喰って栄養をよくした方がよさそうに思われるが、うまいものはついつい喰い過ぎる恐れがある。しかし、まずいものは喰い過ぎたくても喰い過ぎる心配が少ない。つまり、粗食それ自身がいいのではなくて喰い過ぎないことがいいのかもしれない。もしか粗末なものを喰い過ぎることが出来たらその結果は御馳走の飽食よりもっと悪いかもしれないであろう。そうだとすると、結局、なるべくうまい上等の御馳走を少し喰っているのが一番の長寿法だということになるかもしれない。これはやさしそうでなかなか六かしいことらしい。
 胃が悪い悪いと年中こぼしながら存外人並以上に永生きをした老人を数人知っている。これも御馳走を喰い過ぎたくても喰い過ぎられなかったおかげかもしれないと思われる。食慾不振のおかげで、御馳走がまずく喰われ
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