ものの描写でなければ何の価値があるだろう。このパラドックスは実は何でもない事である。ちょうど科学者がある実験を想像してその経過を既知の方則で導いて行くと同じように、作者は先ずある人間とその環境とを想定して、作者の把えていると信ずる一種の方則に照らして事件の推移を追究して行くのである。ただこの場合に科学の場合とちがうのは、その「方則」なるものが明白に単義的でなく、またいわゆる環境なるものの範囲が明白に制限し難い点にある。従ってその実験の結果もまた多義的であって、それの価値判断も困難である。しかし極端な場合を比較して見れば作者の「方則」や方法の差別は容易に分る。普通に批評家がある作物を見て、不自然であるとか、そうでないとかいうのはすなわち如上の意味においてである。この場合の標準になるものは勿論単に心理学的なものの外に非科学的なものがむしろ大部分を占めているのは通例ではあるが、そうかと云って作者は、この種の作物の構成方法が上の通りである限りは、全く科学的要素を度外視する訳には行くまいと思う。従ってこの種の作者は尠《すくな》くもその方面の科学的事実に対して考察を過《あやま》らないようにする必要
前へ 次へ
全12ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング