があろうと思う。写実派自然派に対して理想派や浪曼的《ろうまんてき》の作品を見る時はよほど趣を異にする点が多い。これらのものの対象は「在るところの世界」よりはむしろ「在るべき世界」であるから、もはや科学の世界を離れている。取扱われている主資料は能知を離れた所知ではなくむしろ能知自身の活動である。この点においては、最初に挙げた詩と相類するようである。しかし抒情詩のごときものでは個々の作者の感情が強く主張されているのに、ここに挙げたものでは個人を超越した普遍的な能知の意志が活動していると見る事が出来よう。この種の作品の成効せるものではたとえ科学的の背理が現われていても、それを包括する能知の不思議な雰囲気のためにそれが邪魔にならないのである。このような不思議な世界に読者を導き入れるためには、特殊な手段を要することは勿論で、この種の作品がその資料を遠い過去や異郷に採るのみならず、その文体や用語に特別な選択をするを便利とする所以もまたここに在るのではあるまいか。
以上はただ典型的な二、三種のものについて、極めて概括的な考え方をしてみたに過ぎないので、実際の作品について云えば、種々複雑な問題が起る
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