らん」とある。
「うずたかく」とはいかなる点をさすのか自分にはよくわからない。しかし、ともかくも連句というものの世界の広大無辺なことを思わせる一例であろう。少し変わった言い方をすると「俳諧の道は古代ギリシアの兵法にも通う」のである。これは一笑に値する。

     六

 昔、ラスキンが人から剽窃《ひょうせつ》呼ばわりをされたのに答えて、独創ということも、結局はありったけの古いものからうまい汁を吸って自分の栄養にしてからの仕事だというような意味のことを言った。
 蕪村は「諸流を尽くしこれを一嚢中《いちのうちゅう》にたくわえ自らよくその物をえらび用にしたがっていだす」と言っているそうである。つまり同じことを言っているらしい。こんな例をあげればいくらでも出てくるであろう。あまりにわかり切ったことだからである。
 しかし自分が平生不思議に思うことは、昔でも今でも俳人の世界ではいろいろの党派のようなものができて、そうして各流派流派の「主張」とか「精神」とかいうものを固執して他流を排斥しあるいは罵詈《ばり》するようなこともかなり多い。門外の風来人から見ると、どの流派にもみんなそれぞれのおもしろい
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