と今度はふろしきの中から一冊の仮りとじの小さな句集のようなものを取り出して自分の前に置いた。手に取って見るとそれは知名の某俳人の句集であったが、その青年のいうところによると、その俳人がこの人のためにもし何かのたしになるならと言って若干冊だけ恵与されたものだそうである。しかしそれをどうすればよいのかわからなかったので、はなはだ露骨ではあったが「これを私に買えとおっしゃるのですか」と聞いてみたら、やはり究極のところはそうであったのである。
 こういう些細なことも昭和俳諧史のどこかのページの端に書き残しておいてもいいと思うので単なる現象記録としてここにしるしておくことにした。
 俳諧|一串抄《いっかんしょう》に「俳諧はその物その事を全くいわずただ傍をつまみあげてその響きをもってきく人の心をさそう」という文句がある。
 うちへ来たこの俳諧青年はやはりこの俳諧の心得の応用の一端を試みたのかもしれない。
 このあいだ、ある歌人が来ての話の末に「今の若い人にさびしおりなどと言ってもだれも相手にしないであろう」という意味の意見を聞かされた。しかしこの青年などはさびしおりを処世術に応用しているほうかもし
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