に、おたいこ結びの帯の端のように斜めに胸の上に現われていた。こういういで立ちをした白皙無髯《はくせきむぜん》、象牙で刻したような風貌が今でも実にはっきりと思い出されるのである。
 この街頭における四方太氏のいで立ちを夏目先生に報告したら、どういうわけか先生がひどくおもしろがって腹が痛くなるほど笑われたことも思い出すのである。このおかしかったわけは今でもわからない。
 そのころであったと思う。自分は白いネルをちょん切っただけのものを襟巻にしていた。それが知らぬ間にひどくよごれてねずみ色になっているのを先生が気にしていた。いつか行ったとき無断で没収され、そうして強制的にせんたくを執行された上で返してくれたことがあった。そのネルの襟巻と四方太氏の玉子色の上等の襟巻との対照もおかしいものの一つではあったかもしれない。
 夏目先生は四方太氏のきちんとした日常をうらやましく思うおりもあったかもしれないと思う。先生はきちんとした事が好きであったにかかわらずきちんとしうるためにはあまりに暖かい心臓の持ち主であったかもしれないと思うからである。自分は四方太氏にもやさしい親しみを感ずることはできたが、しか
前へ 次へ
全17ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング