はいっこう感心してくれなかった。たとえば
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古井戸をのぞけばわっと鳴く蚊かな 杜昌《としょう》
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といったような句でも、当時の自分には、いくら説明したくても説明のできない幻想の泉となり、不可思議な神秘の世界をのぞく窓となるのであったが、父に言わせると「ただ、言っただけではないか」というのであった。
そのころより少し前に、父は陸軍の同僚数名と連句の会をやっていたことがある。その同僚中に一人宗匠格の人があってそれが指導者になっていたらしい。その宗匠が「扇開けば薄墨の月」という付け句をしたのを、さすが宗匠はうまいと言ってひどく感心していたことを思い出すのである。前句は何であったか忘れてしまった。
「赤い椿白い椿と落ちにけり」(碧梧桐)でも父の説に従えばなるほど「言うただけ」である。しかしこの句が若かった当時の自分の幻想の中に天に沖《ちゅう》する赤白の炎となってもえ上がったことも事実である。
「俳句は読者を共同作者として成立する」と言ったフランス人の言葉もまるでうそではないようである。どうしても発句だけでは、その評価は時と場所と人との函数とし
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