急にかゆくなるように感じた。
 この猫が書斎の前の縁側にすわってかゆがって身もだえをしていられると、どうにも仕事が手につかない。文字通りの意味でのシンパシーまたミットライドとはこんなのを言うのかもしれない。
 三つの「かゆい話」のぶつかったのは全く偶然のコインシデンスである。しかし、それを三つ結びつけて感じるのは必ずしも偶然ではないであろう。

       四

 八月二十四日の晩の七時過ぎに新宿《しんじゅく》から神田《かんだ》両国《りょうごく》行きの電車に乗った。おりから防空演習の予行日であったので、まだ予定の消燈時刻前であったが所によっては街路の両側に並んだ照明燈が消してあった。しかし店によってはまだいつものように点燈していたにもかかわらず、町の暗さが人を圧迫するように思われた。いつもは地上百尺の上に退却している闇《やみ》の天井が今夜は地面までたれ下がっているように感ぜられた。これでは、明治時代、明治以前の町の暗さについてはもう到底思い出すこともできないわけである。
 一週間も田舎《いなか》へ行っていたあとで、夜の上野《うえの》駅へ着いて広小路《ひろこうじ》へ出た瞬間に、「東京は
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