記憶を彩っているようである。
 その頃の熱海行きは、国府津まで汽車で行って国府津から小田原まで電車、小田原からは人車鉄道という珍しい交通機関によるのであった。立ったら頭の閊《つか》える箱の中に数人の客をのせたのを二、三人の人間が後押しして曲折の多い山坂を登る。登るときは牛のようにのろい代りに、下り坂は奔馬のごとくスキーのごとく早いので、二度に一度は船暈《ふなよい》のような脳貧血症状を起こしたものである。やっと熱海の宿に着いて暈《よい》の治りかけた頃にあの塩湯に入るとまたもう一遍軽い嘔気を催したように記憶している。
 無闇に井戸を掘って熱泉を噴出させたために規則正しい大湯の週期的噴泉に著しい異状を来したというので県庁の命令で附近の新しい噴泉井戸を埋めることになった。自分は官命によってその埋井工事を見学に行ったが、それは実に珍しい見ものであった。二、三十尺の高さに噴き上げている水と蒸気を止めるために大勢の人夫が骨を折って長《たけ》三|間《げん》、直径二インチほどの鉄管に砂利をつめたのをやっと押し込んだが噴泉の力ですぐに下から噴き戻してしまうので、今度は鉄管の中に鉄棒を詰めて押し入れたらやっ
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