と噴出が止まった。その止まり方がまた実に突然で今までの活劇がまるで嘘であったように思われた。そのときの不思議な気持だけは今でもはっきり思い出すことが出来る。人間の感情の噴出でもこれに似た現象があるような気がするのである。
 日露戦争直後で負傷者が大勢療養に来ていたのはその時であったかと思う。郷里の中学の先輩がその負傷者の中に居たのにひょっくりめぐり合って戦争の話を聞かされ、戦争というものの不思議さをつくづく考えさせられた。
 その後にまた、大湯附近の空気中のイオンを計測するために出張を命ぜられて来たときは人車鉄道が汽車の軽便鉄道に変っていたが、それでもまだやはり朝東京を出て夕方熱海へ着く勘定であったように思う。去年はじめて省線電車で熱海へ行ったときは時間の短縮した代りに「昔の熱海」を捜すのに骨が折れた。大湯の近くまで来てみてやっと追憶の温泉町を発見したが、あまりに甚だしい変り方に呆れて何となく落着く気になれなかったので、そのまま次の汽車で引返して帰って来た。
 今日は朝の九時半頃家を出て箱根で昼飯を食って二時には熱海へ来た。そうして熱海ホテルでお茶を飲んで七時にはもう宅《うち》へ帰って
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